1543年、ポルトガル人が日本に漂着。
鉄砲伝来です。
その6年後、今度は、スペインの宣教師ザビエルを始めとする四人の西洋人が日本にやってきました。
その後、立て続けに、宣教師やら、貿易商人やら西洋人たちが日本に押し寄せます。
彼らは、機械時計、メガネ、ぶどう酒、オルゴール、オルガンなどもたらし、
結果として、『南蛮文化』が開花しました。
これまでにない、まさに、異色の文化。
彼らの目的は、キリスト教の布教や交易であったのは、勿論ですが、遠くヨーロッパから
はるばる日本にやって来るには、大きな理由があったんです。
そもそも、ポルトガル人が日本に漂着する前から、日本は、西洋では、かなり知られた存
在だったのです!!
どうして?
あのマルコポーロの『東方見聞録』に日本のことが紹介されてたからです。
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日本は、『ジパング』と呼ばれ、住民の肌は白く、文化的で物資に恵まれ平和なクニ。
しかも、黄金は無尽蔵にある
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ここまで書かれてたんです!!
マルコポーロの『東方見聞録』は、やがて、ヨーロッパの多くの人たちに読まれるように
なりました。
西洋人たちは、東洋の地に、黄金だらけの楽園のような島があると思い込んだのです。
そして、16世紀に入り、ポルトガル人の漂着によって、ジパングが実在の島であること
を知ったわけです。
ジパングをこの目で見てみたい!!
おりしも、当時の西洋は、『大航海時代』と呼ばれる世の中。
西洋人が、怒涛のように押し寄せてくるようになったんです。
結果論ですが・・・・・
こういった西洋人たちのおかげで、鉄砲が急速に普及し、戦国時代の終結を早め、
天下統一に向けた動きが本格化したわけです。
そういった意味では、マルコポーロ様様・・・・・・。
彼が、もし、『東方見聞録』のなかで、ジパングに関して、こうまでも書いていなけれ
ば、織田信長も、豊臣秀吉も登場することはなかったかもしれませんね・・・・・
『歴史とは、現在と過去との対話である・・・』
ある歴史学者の言葉です。
私の大好きなテレビ番組、『BS歴史館』の始まりの画面に出てくるフレーズ。
“深い”言葉ですね・・・・・
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。