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2015
8/31

「プロ教師」の流儀

ブログ

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キレイゴトぬきの教育入門

現場から見たら、教育論はウソだらけ・・・

 

 

こんなキャッチフレーズに惹かれ・・・・・・・ついつい買いました・・・

教師側から見た、教師の本音をまとめました・・・・こんな感じです。

 

確かに私も、臨時教員を経験し、教壇にたった経験はあります。

だからこそ、「教師の本音」にも同感しますが、明らかに、筆者のバックボーンのベー

スには「保身」が見え隠れしています。

「保身」をベースにするヒト(教師)のまわりには、「保身」をべースにするヒト(教師)

しか集まりません。そうでないヒト(教師)は”異端児”扱いされます・・・・・

校内でも、研究会、研修会でも・・・そして、組合でも・・・・・

 

結局、みな、保身でしょ・・・最後は「事なかれ主義」を貫き通したのが「勝組」・・・

と筆者はいいたいんだろうな・・・・

私には、このように思えました。

 

臨時教員の経験しかしてないから、そんなこと言えるんだよっ!!(怒) という現職の教員

のかたのクレームがきそうですが・・・・

 

そんな、周りの目を気にするような教員に、うちの子供は預けたくないっ!!

すべてを悟りきったような、分かりきったような教員には、うちの子供を指導してほしくないっ!!

「教育」とは、「する側」すなわち、「指導者側」からは定義すべきものではないと思います。・・・・・・・

「教育」とは、それを受ける生徒にとって、どうであるか・・・・・・

指導する側ではなく、受ける側目線で、定義されるべきものある・・・・

私は、このように、考え、そして、信じ、日々、活動しています。

 

以下に、印象的だった一節をご紹介させていただきます。

言ってることは、わからなくはないけど、私は、全く共感できません。

 

「生徒のため」という思いを、自らの仕事の根拠にしてはいけない。生徒たちの思考の自由を封殺する。教師は自分が都合よく描く「生徒のため」という親切の押し売りをしているが、それは結局教師である「自分のため」に過ぎない。「相手のため」はかなり欺瞞性が高い。本当に「生徒のため」になるのは、教師からの無条件の贈与でなければならない。これは、「教えること」の極北にある至難の境地である。

 

教師だから「教育がわかっている」と思わないこと。教師にわかっているのは、「教師にとっての教育」である。うまくいってもそれしかできない。学者にとっての教育、親にとっての教育、子供にとっての教育はそれぞれ違う。教師にもそれぞれの教育感があり、見ている教育現実が必ずしも重なるとは限らない。いずれにしても、教師は、教育内部にいるので教育を客観視できない。

 

 

今日も、最後まで、読んで、いただき、ありがとうございました。