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2018
4/6

なりきり岩崎弥太郎の『ドラマ/龍馬伝』のその後・・・・・

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大政奉還・・・・・・・

これを成し遂げた直後、龍馬は暗殺されました。

ドラマはここで、幕を閉じました・・・・・

 

さて、その後、世の中はどうなっていったんでしょう?

気になると言えば、気になりますね。

 

そこで、あの岩崎弥太郎の『語り』を思い出してみてください!!

日本史も指導させてもらっている私が、岩崎弥太郎になりきって、

ドラマ龍馬伝のその後を語りましょう!!

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将軍慶喜公は、大政奉還を受け入れたがじゃ。

実は、慶喜公にも思惑があってのこと。

そこは、『したたか』というモんじゃ。

 

慶喜公は、徳川家の力を温存したまま、徳川幕府の後の新政府の下にしっかりと潜り込

うと考えてのことじゃった。

山内容堂公も当然それを狙って建白したんじゃ。

 

ところが、現実は、慶喜公の思い通りには動いてくれんかった。

 

大政奉還が上表されたのは、慶応3年の10月14日。

実は、この同じ日に、薩摩と長州は、『幕府を討て』っちゅう天皇の命令、

いわゆる『討幕の密勅』を引っ張り出すことに成功してたがじゃ!!

 

すなわち、薩摩と長州は、幕府を倒してから新しい天皇政府を作ろうと決めてた。

薩摩と長州は、武力で慶喜公を排除して政権を握ろうと腹をくくってたんじゃ。

龍馬は、このことを知らぬまま、斬られたんじゃ。

 

ところが、10月14日、あっさり大政奉還となって、薩長の『討幕の密勅』は空振りに

わってしまったがじゃ。

ということは・・・・・・・慶喜公と山内容堂公の狙い通り!!

 

そりゃ薩長はあせったがじゃ!!・・・・蜂の巣をつついたようなもんじゃ。

戦争するつもりだったがじゃ!!

 

そこで、薩長は、一種のクーデターのような形で政権を手中に収めようとするがじゃ。

年末の12月9日、天皇の意思表明じゃ、いきなり、新政府の基本方針を全国に向かって

言したのじゃ!!   これが世にいう『王政復古の大号令』じゃ!!

 

どんな中身かっちゅうは・・・・・・

帝(みかど)が自ら政(まつりごと)をするっちゅうことや、

それと、仮の政府の中央メンバーとして、総裁、議定、参与のいわゆる三職を置くっ

ちゅうもんや!!

 

この日のうちに、京都御所で三職のメンバーによる会議が開かれたがじゃ。

『小御所会議』と呼ばれるもんじゃ・・・・・・・・・

 

ところがじゃ・・・・・当時の最高権力者だった慶喜公は、このメンバーには入ってな

かったがじゃ・・・・

『王政復古の大号令』で、みんなで協力し合って、天皇中心の国を作っていくぜよって

言っておきながら・・・・・・

 

そりゃ、もう、『小御所会議』は、大もめに、もめたわけじゃ・・・・・・

岩倉具視・大久保利通らの倒幕派は、松平春嶽、山内容堂らの公議政体派を圧倒し、慶

公に内大臣の辞退と将軍家の領地一部返上を命じる決定をしたがじゃ。

怒りの収まらなかった慶喜公は大阪城に引き上げ、新政府と対決することとなったん

じゃ。これが戊辰戦争の始まりじゃが。

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今日も最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。