先日、札幌駅の地下で、『良妻賢母』と書かれたポスターを目にしました。
『良妻賢母』・・・・・・とてもいい響きです。私はこの言葉が大好きです。
実は、明治より前は、『良妻』は、あっても『賢母』という思想はありませんでした。
なぜなら、子供の教育は、母親の役割ではなく、父親の役割だったからです。
例えば、文武の修行であったり、人前に出ての挨拶の仕方や礼儀作法などは、父親の手に
よってしつけられ、教えられてました。
明治より前は、子育て、教育と言えば、母親ではなく、父親だったのです。
江戸時代に、女子の教育用に書かれた、ある意味、教科書とされていた
『女訓抄(書)』という本があります。
難関私大では、出題されるこもあります!!
そこには、女性の存在意義は、妻、嫁という面だけに限定されてました。
つまり、女性に教育が必要だとしても、妻の役割、嫁の役割を十分に果たせる女性を育て
るためでした。
当時の女性観からすれば、『良妻賢母』ではなく、『良妻』という側面だけクローズアッ
プされれてたんですね・・・・・
母親の子供に対する愛情は、教育を阻害するものでしかない!!
女性に教育は任せられない!!・・・・・・このような風潮だったんです・・・・・・
なんて、女性に対して失礼なんでしょう・・・・・
読んでいて、時代、社会が異なるにせよ、腹立たしくなります・・・・・
今から、たかだか150年前の話です・・・・・・・
まぁ、時代がいくら変わったと言え、変わらない事があるとすれば、
親の間違った愛情のかけ方は、伸びる子供も伸ばさないどころか、子供が本来持っている
能力の芽まで摘んでしまうということですよね。
そして、その被害は、結局、全部子供が背負わなければならないということでしょう。
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。