充実した”おうち時間”を過ごすには『読書』は、絶対に外せません。
この期間、普段、読まないような本にチャレンジと思ってましたが・・・・
いざ、読むとなると・・・・・いつもの”歴史小説”になってしまいます(汗)
豊臣秀次・・・・・
教科書では、わずか2行の説明。
秀吉が出した人掃令、その翌年、朝鮮出兵の人員確保のため関白として再令、
そして、戸数・人数調査・確定する全国的戸口調査を行ったことという内容だ。
豊臣秀次・・・・・元々は、秀吉の姉の子。
秀吉の養子となり、秀吉に代わり関白となる。
紀州雑賀攻め
四国征討などで輝かしい軍功挙げ
誰もが認める秀吉の右腕として内政にその力を発揮した。
秀頼の出生後、秀吉との関係が悪化し、高野山へ追放される。
さらには・・・・
謀反の嫌疑をかけられ、切腹、斬首を命じられる・・・・・・・
そのときの、処刑奉行が石田三成。
首は、三条河原に晒され、非業な最期をとげた。
三成もまた、この数年後、関ケ原合戦で敗戦し、三条河原で処刑されている。
因果が巡ってきた・・・・・こういうことなんだと思う。
秀次は、”殺生関白”の異名の通り、
粗暴で強引な武将とされてきた。
権威ある歴史学者や
著名な歴史作家は、みな一様に
豊臣秀次は、悪党だったと書いている。
実際に、足利尊氏や徳川家康なども、第二次世界大戦までは、
とんでもない悪党とされていた。
しかし・・・・終戦後は、尊氏も、家康も善良な政治家としてその評価を一変させた。
昨今の田沼意次のように・・・・・・
秀次も、勝者の手によって、虚像へと作り替えられたのは容易に予想がつく。
“殺生関白”と、風潮したのは、三成だとする歴史学者もいる。
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。