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2021
9/3

◇『豊臣秀次』羽生道英/PHP文庫

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充実した”おうち時間”を過ごすには『読書』は、絶対に外せません。

 

この期間、普段、読まないような本にチャレンジと思ってましたが・・・・

いざ、読むとなると・・・・・いつもの”歴史小説”になってしまいます(汗)

 

 

豊臣秀次・・・・・

教科書では、わずか2行の説明。

 

秀吉が出した人掃令、その翌年、朝鮮出兵の人員確保のため関白として再令、

そして、戸数・人数調査・確定する全国的戸口調査を行ったことという内容だ。

 

豊臣秀次・・・・・元々は、秀吉の姉の子。

秀吉の養子となり、秀吉に代わり関白となる。

 

紀州雑賀攻め

四国征討などで輝かしい軍功挙げ

誰もが認める秀吉の右腕として内政にその力を発揮した。

 

秀頼の出生後、秀吉との関係が悪化し、高野山へ追放される。

さらには・・・・

謀反の嫌疑をかけられ、切腹、斬首を命じられる・・・・・・・

そのときの、処刑奉行が石田三成。

首は、三条河原に晒され、非業な最期をとげた。

 

三成もまた、この数年後、関ケ原合戦で敗戦し、三条河原で処刑されている。

因果が巡ってきた・・・・・こういうことなんだと思う。

 

 

秀次は、”殺生関白”の異名の通り、

粗暴で強引な武将とされてきた。

 

権威ある歴史学者や

著名な歴史作家は、みな一様に

豊臣秀次は、悪党だったと書いている。

 

実際に、足利尊氏や徳川家康なども、第二次世界大戦までは、

とんでもない悪党とされていた。

しかし・・・・終戦後は、尊氏も、家康も善良な政治家としてその評価を一変させた。

 

昨今の田沼意次のように・・・・・・

 

 

 

秀次も、勝者の手によって、虚像へと作り替えられたのは容易に予想がつく。

“殺生関白”と、風潮したのは、三成だとする歴史学者もいる。

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。