そこには、豪華な調度品は何一つない。 宿の中、どこを見ても、案内板、表示板、部屋番号を示すプレートすらない。
廊下を歩くと、部屋の入口すらわからない。 ドアノブすらないんだから。
お客に迎合することなく、宿がお客を選んでるといえよう。
あの隈研吾氏がプロデュースしたというのもうなづける。
ここには、究極の引き算の美学があった。・・・宿の名は『山形銀山温泉 藤屋』
究極の引き算により、生み出される”非日常”は、まぎれもない本物だ。
ただし、それなりの年齢を重ねて、それなりの経験を積んだ方でないと本当の良さはわ
からないと思う。
食事が、どれだけすごいかは、容易に想像はつくでしょう・・・・・
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。
《おまけ》