私が、毎朝、ほしみ駅まで歩いてる時、
いつも、決まって犬の散歩をさせている高齢者の方とすれ違います。
いつも、『おはようございます』とあいさつをしてくださいます。
私も、『おはようございます』と元気よくあいさつさせてもらってます。
きっかけは、今年の夏に駅へ向かう途中『あじさい』の写真を撮ってた時でした。
それ以来、朝、すれ違うたびに、いつもあいさつをしてくれてます。
私は、心の底から『あいさつ』って大切だと思ってます。
なんか、ぎょうぎょうしくなってゴメンナサイ。
『あいさつ』って、
まず、相手の存在を認めること。
そして、その上で、相手に対して自分の心を開くことだと思うんです。
逆に言えば、
相手から『あいさつ』をされれば返すけど自分からはしないってヒトは、
極論すると、「相手を無視してる、存在を認めてない」ってことです。
ヒトに対して、心の開けないヒトは、ヒトからも心を開いてもらえないでしょう。
逆に
ヒトに対して、いつも気持ちの良い『あいさつ』をして、心を開けるヒトは、
他のヒトも心を開いてくれます。
ですから、
『あいさつ』とは、ヒトとして生きていく上での一番大切な『流儀』です。
最近の高校生は、なんでもかんでも「ライン」
その弊害の一つとして「あいさつ」ができない・・・・・色々なところで言われてます。
私も、過去に、
全く挨拶のできない生徒の指導を担当させてもらったことがあります。
『私にだけ?』・・・・・・そう思い、他の教科の担当の先生に聞いてみると、
やっぱり「あいさつ」はしないとのこと・・・・・・・・・・
この先生は、この生徒の将来を本当に心配してました。
私も、気になって、父母面談の機会に、このことをお話したら、
『そんなことは、塾で指導してください!!』って逆ギレされました・・・・
あいさつとは、ヒトから指図されてするもんじゃありません。
本人の『気持ち』の現われが「あいさつ」だと思います。
皆さんは、どう思われるでしょうか?
心を開いてくれる生徒に対しては、やっぱり、なんとかしてあげたい!!ってなります。
逆に、何もあいさつをしない生徒に対しては、この子には、何を言ってもわかってもら
ない、これ以上言ってもムダなのかも・・・・・って思ってしまいます。
このような生徒が社会に出てっいたらどうなるんだろう?
生徒本人のことを思うと、すごく悲しく、やりきれない気持ちになりました。
私の持論で、気持ちのいいあいさつの出来るヒトの元に、気持ちのいいあいさつの出来る
ヒトが集まるってのがあります。
平たく言うと、”類は友を呼ぶ!!”
たかがあいさつ、されどあいさつ。
今年の実力養成会の生徒は全員、気持ちのいいあいさつをしてます!!
私が、指導し徹底したということではありません。
気付けば、皆、しっかりしてくれてます・・・・・・
中には、ちょっと内気な生徒(中学生)もいて
いっつも、ちょこんって頭を下げて挨拶してくれてます。
声には出さないけど、しっかりと『気持ち』が伝わります。
『気持ち』がそうさせてるんだと思うんです。
あいさつは、気持ちの現れです。
あいさつするという『気持ち』・・・・・大事だと思いませんか?
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。