明治20年代、大阪に、地獄のような7年の丁稚奉公ののち、
待望の・・・・・夢であった『自分の店』を構えた若者がいました。
それこそ、吹けば飛ぶような”商店”・・・・・・
扱う商品は、当時では、なじみの薄い”ぶどう酒”
フロンティアスピリッツのみ!!
彼を動かしたものはただ、ただ、フロンティアスピリッツ。
このフロンティアスピリッツがユニークな広告作戦を生み出し、
たまたまヒットし、ぶどう酒は大いに売れた・・・・・・
この若者こそ、サントリーの創始者『鳥井信治郎』氏。
彼には、当時、野望がありました。
国産初の”ウィスキー”を作りたい!!
そんな、アホな!!
お前、アタマ、おかしいんちゃう?
しかし、周囲の大反対にもめげず、
後に、国産初のウィスキーを世に送り出します。
しかし、彼は四面楚歌・・・・・・
絶体絶命・・・・・・
何度も、何度も修羅場をくぐり抜けてきました・・・・・
結果として、多くのものを失ったのも事実です。
この絶体絶命のピンチに際し、一言いったセリフが
標題の
やってみなはれ!! やらな、わかりまへんで!!
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。