あまり、知られてない話なんですが・・・・・・
全国にさまざまな商人が登場したのは戦国時代。
戦国武将が城を建てると、その周りに武士やその家族が住むようになります。
そこへ、様々な職人と商人も移り住むようになります。
城下町は、このように形成されていったわけです。
当時の商人の中でも最も大きな財をなしたのが『土倉』『酒屋』と呼ばれる人たち。
今で言えば、質屋さんと高利貸しを合体したような感じでしょう。
貨幣経済がドンドン浸透していったこの時代、京の都だけでも300~400軒あったと言わ
れてます(山川史料集)
また、寺院の境内や街角に『市』が立つようになったのも戦国時代。
寺院が商人に営業権を与える代わりに、納入金をゲットしてました。
定期的な『市』も開かれるようになりました。
『市』では、近隣の村々で生産されたコメや野菜、塩、豆腐などの食料品のほか、
綿、白布の衣料品や日用品などが売られてました。
こうした商品を売ったのは、『大原女』や京都・桂川産の鮎を売った『桂女』などのよう
に多くの女性たちでした。
しかし・・・・・寺院などに支払う納入金がしだいに引き上げられ、重荷になっていきま
した。そこで、こうした上納金を撤廃し、自由活発な経済活動をやろうぜ~!!ってのが、
信長の『楽市楽座』ですね。
戦国時代というと、血で血を洗う戦いの時代ではありましたが、
実は、その裏では、現在まで残る職業が次々と誕生した時代でもあったわけです。
このように、城下町を盛んにし、経済を活発化しておかないと、いざ戦争となった時、食
料とか軍事物資を買おうとしても、うまく調達できない、戦争に行けない、なんてことに
もなりかねません。
だから、戦国武将にとっては、城下町経営は政治的にも経済的にも超重要であったわけで
す・・・・・・・・
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。