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2018
6/25

『蒙古襲来絵巻』から見えてくるもの

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『蒙古襲来絵巻』は、身内との所領争いに敗れて没落していった肥後の御家人”竹崎季

長”(1246~1314)が文永の役と弘安の役で戦功をあげ、地頭職をうけた経緯を描いてい

る。当時の社会の様子、合戦の状況、使われた武器や武具がわかり、絵画資料として大

きな価値がある (山川史料集より)

日本史をとってる人には、有名な絵画ですね。

 

教科書(山川出版)も、以下のように説明しています。

文永の役における陸戦の一場面。日本の騎馬武者は、当時29歳の肥後の竹崎季長であ

る。元軍は、『てつはう』と呼ばれる火薬を利用した武器を使用して、

日本軍を悩ませた。

 

さて・・・・

この絵をよく見ると、3人のモンゴル兵がフォーメーションを組んでいます。

集団戦法をとるモンゴル軍に対して、日本側は1対1で挑んでます。

 

日本側は、なぜ一騎打ちで戦ったのか?

 

本当の理由を最近、知りました!!

 

それは・・・・

日本の武士は、古代より『やぁ~、やぁ~我こそは~』と名乗りを上げ、一騎打ちで戦

いを挑みます。

私は、これまで、このような独特の戦闘スタイルは、正々堂々と敵に向かう武士の『美

徳』・・・・・それこそ、『SAMURAI  SPIRITS』だと思ってきました。

 

確かに、そうではあるんですが、もっと他の理由があったんです。

 

実のところ、恩賞を受けるための必要な作法だったんです。

自分が戦功をあげたことを、戦のあとで証拠立てるには、名乗りの声を周囲に聞かせて、

おかなければならなかったんです。

名乗りを上げる・・・・これは、敵に対してではなく、味方に対するものだった!!

事実は、こうだったんです・・・・・

 

モンゴルの集団戦法に対して、日本が一騎打ちで挑んだ理由・・・・・

それは、『少しでも多くの恩賞が欲しい』という思いが、

チームプレーに向かうこと無く、個人プレーを取らせたんですね・・・・・

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。