つい先日、歴史バラエティー番組でも取り上げられてた『田沼意次』
『おぬしも、悪よの~』という悪政腐敗の典型のように伝えられてきたけれど、
実は、有能な政治家だった!!・・・・・・・こんな話でした。
さて、今の日本史の教科書には、田沼意次は、どのように書かれてるのでしょうか?
田沼が、登場する前・・・・・米将軍でおなじみの『徳川吉宗』が享保の改革と言われる
政治を精力的に推し進めてました!!
吉宗が『米を集める事を重視した政治』だったのに対し、
田沼は、『商業、つまりお金を集める事を重視した政治』でした。
つまり、当時、破綻しつつあった幕府財政を、積極的な経済政策を展開して、
見事に再建したんです!!・・・・しかし、最後は不運にも天災などに見舞われましたが。
ちなみに、田沼の功績として・・・・
『専売制の拡張』・・・・・幕府が専売制をしき、特定の業界にもうけさせる
『株仲間の大量認可』・・・・幕府は税金をうはうはゲット!!
『南りょう弐朱銀の鋳造、発行』・・・江戸と大坂の流通をスムーズに
『長崎貿易の拡大』・・・・・金銀の輸入をドンドン促進
『新田開発』・・有力町人の出資を募り、沼などを埋め立てして、新田をドンドン開発!!
『蝦夷地開発、対ロシア交易』・・・千島列島に探検隊を派遣、ロシア貿易も考えてた!!
他にも、色々!!
このように、田沼は、当時の人たちが、目もつけないようなところに目をつけて、積極
的に『攻めの経済』の施策を推進しました。
まさに、先見の目を持った、今で言えば、新進気鋭のIT関連のバリバリの”やり手”社長。
もともと、田沼の父は、当時紀州藩主吉宗の小姓。
吉宗が将軍職を継いだ時、意次は、吉宗の長男家重の小姓となったのが全てのスタート
だったわけです。
それが、気付けば、将軍の片腕となり、幕府の最高職に!!
権力の表裏を握った意次に対して、諸藩の大名は、そりゃ~面白くないわけですよ!!
あらぬ噂をあっちで、こっちで、言われ・・・・
足を引っ張りたがる人たちは、わんさか!!・・・・今の時代もそうですけど(笑)
田沼が、賄賂の事を始めとして、腐敗悪政の典型のように伝えられてきたのは、
彼に対する、強いジェラシー、憎悪感が渦巻いてたってことなんですね。
最近、田沼に関する文献も色々と発見され、
田沼って、すごくない?
よ~く、考えると、田沼のやったことは、当時としては、画期的な事でない?
田沼って、かなり、あっちこっちから足を引っ張られ、色々なレッテルをはられてたん
じゃない?
ということで、田沼、および彼の功績を再検証してみると、そりゃ~、それなりのグレー
な部分は大なり小なり、あるにせよ、その10倍以上に彼の功績が評価された!!
『賄賂、腐敗』 < 『田沼の功績』
というお話でした。
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。