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2018
10/9

今野先生の ”日本史ワンポイントレクチャー” 『田沼意次』

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つい先日、歴史バラエティー番組でも取り上げられてた『田沼意次』

『おぬしも、悪よの~』という悪政腐敗の典型のように伝えられてきたけれど、

実は、有能な政治家だった!!・・・・・・・こんな話でした。

さて、今の日本史の教科書には、田沼意次は、どのように書かれてるのでしょうか?

田沼が、登場する前・・・・・米将軍でおなじみの『徳川吉宗』が享保の改革と言われる

政治を精力的に推し進めてました!!

吉宗が『米を集める事を重視した政治』だったのに対し、

田沼は、『商業、つまりお金を集める事を重視した政治』でした。

つまり、当時、破綻しつつあった幕府財政を、積極的な経済政策を展開して、

見事に再建したんです!!・・・・しかし、最後は不運にも天災などに見舞われましたが。

 

ちなみに、田沼の功績として・・・・

『専売制の拡張』・・・・・幕府が専売制をしき、特定の業界にもうけさせる

『株仲間の大量認可』・・・・幕府は税金をうはうはゲット!!

『南りょう弐朱銀の鋳造、発行』・・・江戸と大坂の流通をスムーズに

『長崎貿易の拡大』・・・・・金銀の輸入をドンドン促進

『新田開発』・・有力町人の出資を募り、沼などを埋め立てして、新田をドンドン開発!!

『蝦夷地開発、対ロシア交易』・・・千島列島に探検隊を派遣、ロシア貿易も考えてた!!

他にも、色々!!

 

このように、田沼は、当時の人たちが、目もつけないようなところに目をつけて、積極

的に『攻めの経済』の施策を推進しました。

まさに、先見の目を持った、今で言えば、新進気鋭のIT関連のバリバリの”やり手”社長。

 

もともと、田沼の父は、当時紀州藩主吉宗の小姓。

吉宗が将軍職を継いだ時、意次は、吉宗の長男家重の小姓となったのが全てのスタート

だったわけです。

それが、気付けば、将軍の片腕となり、幕府の最高職に!!

権力の表裏を握った意次に対して、諸藩の大名は、そりゃ~面白くないわけですよ!!

あらぬ噂をあっちで、こっちで、言われ・・・・

 

足を引っ張りたがる人たちは、わんさか!!・・・・今の時代もそうですけど(笑)

 

田沼が、賄賂の事を始めとして、腐敗悪政の典型のように伝えられてきたのは、

彼に対する、強いジェラシー、憎悪感が渦巻いてたってことなんですね。

最近、田沼に関する文献も色々と発見され、

 

田沼って、すごくない?

よ~く、考えると、田沼のやったことは、当時としては、画期的な事でない?

田沼って、かなり、あっちこっちから足を引っ張られ、色々なレッテルをはられてたん

じゃない?

 

ということで、田沼、および彼の功績を再検証してみると、そりゃ~、それなりのグレー

な部分は大なり小なり、あるにせよ、その10倍以上に彼の功績が評価された!!

 

 

『賄賂、腐敗』 < 『田沼の功績』

 

 

というお話でした。

 

 

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。