『西郷どん』・・・・・毎週楽しみにしてる方々ってかなり多いんでしょうね。
私も毎週楽しみに見させてもらってます。
とかく、西郷さんに目が向きますが、大久保利通ファンもかなりいらっしゃるのか
な・・・なんて思ったりもしてます。
さて、
維新の三傑として称される・・・・・『大久保利通』『木戸孝允』『西郷隆盛』
このなかでも、特に大久保利通の評価は、
「西郷を追い落とした」だとか「自由民権運動を踏みににじった」などとあまり良いもの
ではありません。
事実、山川出版の【日本史B用語集】にもこの通り・・・・・
“藩閥政府の中心として権力をふるった“・・・・・と書かれてます。
ですが、本当に大久保利通は、権力に溺れて志を失った独裁者だったのでしょうか?
そんな大久保の一面的な『悪者』感満載な評価に対し
東大日本史で、1994年にこのような出題がありました。
政府の中枢に立った、大久保。
やらなきゃならないことは、山ほど・・・・・・
冷徹に決断を下さなければならない立場。
その最たる例が、西郷との決別でしょう・・・・・
世間一般的な評価は、「権力をふるった」という悪者感満載。
しかし、東大は、この出題からも分かるように、
日本の将来的な発展を常に考えいていた大久保は、決して単なる専制政治家ではなかった
と断言しています。
この東大の問題の模範解答は、以下の通りです。
明治政府の目標は条約改正を達成することであり、そのためには諸制度の整備とともに富国強兵に努めて列強に並ぶ国力を養う必要があった。大久保は、民主政治を理想としたが、徴兵制や学生への反対一揆が頻発する中で、当面は強力な君主権の下で政府主導により近代化を進め、その間に民度を高めていく君民共治がよいと考えた。
私は、大久保は、当時の日本と世界(西洋)を見据えた上での、国づくりに関する明確なビ
ジョンを持ち、それを実現するために命を懸けた偉大な政治家であると思ってます。
まぁ・・・・・
目一杯、『西郷どん』を楽しみましょう・・・・・
西郷さんも好き、大久保さんも好き、でも龍馬が一番好きな今野でした。
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。