『日本語は世界一あいまいで、世界一難しい言語である』
ネイティブは、よくこう言います。
私も、実際にオーストラリア人から同じようなことを言われたことがあります。
具体例をひとつ・・・・
私の本
ポルシェの若社長
俳優の彼
Gショックの時計
父さんのバカ
日本語で言えば・・・・『AのB』と表現しておくことで、
ひとつのまとまった名詞として理解してます・・・・
すなわち・・・・・なんでも、かんでも『の』でひとくくり。
『AのB』と言う時の、AとBの意味関係は、問題にしないというか、
“そこまで言わなくてもわかるよね?”
すなわち『察する』という日本独特の文化がバックボーンとしてあるわけです。
では、英語は?
全く持って『察する』文化はゼロ!!
すなわち・・・・
『AのB』と言う時は、AとBの意味関係を前置詞で表現しますね。
例えば・・・・
『ドアのカギ』・・・the key to the door.
『お風呂の水』・・・water in the tub.
『ビンのラベル』・・・a label on the bottle.
日本語が『察する』言語であれば・・・・
英語は『明示する』言語である・・・・私の実体験によるものです。
英語を学ぶ際、
『察する』言語の発想で、英語表現しようとすると、
必ず困難にぶち当たります。
英語とは『明示化する言語』という考え方を意識的に理解することが
とても大切だと思っています。
英語学習と文化論とは、
一見関係のないことのように思えますが、
これこそ、核心だと確信しています。
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。