「敵は、本能寺にあり」と大号令を発し、軍勢を率いた光秀。
しかし、実は・・・・・・・
光秀は、本能寺から8キロ離れた鳥羽に控え、戦果の報告を待っていた!!
という学説も古くからあり、このような本でも以前から紹介はされていた。
そんななか・・・・最近、従軍した家康の家臣の証言を記した、かなり信憑性の高い史料
の存在が判明した。
どうやら、『光秀は、本能寺には行ってない』と専門家たちは見てるようだ。
偶然にも・・昨日の道新、卓上四季にも同様な記載をみつけた。
さて・・・結果として・・・・
光秀の企ては、羽柴秀吉によって打ち砕かれ、
一族もろとも破滅するに至る。
歴史の必然性から見たら、光秀はまぎれもなく敗者だ。
しかし・・・
私は、謀反に踏み切った彼の判断を間違いと決めつけるべきではないと思ってる。
あたかも、必然のように見えてた歴史は、
実は、さまざまな選択肢の積み重ねとして立ち現れているということだ。
光秀が、その後、生き延び、天海となり、家康に仕えた!?
都市伝説の域の話ではあるが、
我々の胸の奥底に、光秀は、永遠に生き続けてるということだろう。
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。