新史料の発見。
新たな遺構の発掘。
そして、史料の比較・検証が多角的に行われることで、
これまで【通説】とされてきたことが、覆されたり、
これまで【歴史上のミステリー】とされてきたことが、一気に解明されることもある。
そして、それが教科書に反映されるには、3~5年かかってしまうのは、
なんとも残念でならない。
有名な”桶狭間の戦い”も例外ではない。
従来の通説では・・・・
1560年5月12日、尾張の小大名・織田信長は、織田家の砦が今川軍の攻撃に晒されたと
知ると、わずか2000人の手勢で出撃。
豪雨に紛れて、本陣を奇襲し、義元を討ち取った。
しかし・・・・・真相は、かなり、違っている!!
3年前に、新史料数点が偶然にも発見されたこと。
史料の裏付けが不十分であったこと。
参考資料の『信長記』は脚色が多く、信ぴょう性に欠けてたこと。
こう言う理由から、桶狭間の戦いについては、数年前、
従来の通説は、見事なまでに、真っ向から否定された・・・・・
先日のNHK【歴史探偵】でその全貌が明らかにされていた・・・・・
真実その①/信長には、援軍がいた!!
真実その②/奇襲攻撃は仕掛けてない!!正面突撃だった!!
真実その③/信長は勝つべくして勝った!!
とにかく、教科書に載ってあることが、受験するうえでは、すべて真実扱いだ。
しかし・・・・現実は、教科書に書かれてある事が全て、正しいわけではない。
中学生が学ぶ、世界四大文明にしてもそうだ。
メソポタミア文明にしても、中国文明にしても30年も前の通説のまま・・・・
本日も、最後まで。読んでいただき、ありがとうございました。