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2022
6/4

頼朝がこだわり続けた”征夷大将軍”

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1190年、頼朝は京都へ行きます。

いわゆる・・・・“頼朝の上洛”です。

 

頼朝が欲しかったのは ”武家の棟梁”としての称号『征夷大将軍』の職。

当時『征夷大将軍』とは、『天皇の代理人』に成り得るもの。

 

しかし・・・・

後白河は意地悪く、皮肉にも『右近衛大将・権大納言』という最高位のポストをくれるの

です・・・

 

1192年、後白河法皇が死んで、ようやく頼朝は念願の『征夷大将軍』になります。

これがおなじみの “イイクニ作ろう、鎌倉幕府”

 

そもそも、それまでは、征夷大将軍のいるところを『幕府』と呼んでました。

ですから・・・・正式にと言うか、名目上ここで鎌倉幕府が成立したわけです。

 

 

歴史的に見たら、

古代から江戸時代まで、総計48人を超える征夷大将軍が存在しました!!

 

この征夷大将軍は、まさに武家の棟梁であり、

幕府の長であり、源氏の長者に他なりません。

 

実際には、将軍が実質的な権力を有してた時期は短く、

側近や有力武家によって、象徴とされることもありました。

とは言え、武士政権の頂点を表すものであり、

日本の統治者です。

 

 

もともとは・・・・征夷大将軍は、古代、東北の部族『蝦』を伐するために派遣した

軍勢の総司令官を言いました。

 

しかし、1192年、頼朝は武家政権樹立のために『天皇の代理人』の権限を持つこの官職

を、実に250年ぶりに復活させます。

 

以来、その本質は、まさに『皇帝』

その後も足利氏、徳川氏とその血筋を変えながら、、およそ700年の間、

征夷大将軍は日本の支配者であり続けました・・・・・・

 

 

頼朝がこだわり続けた『征夷大将軍』

 

ドラマでは、どのように描かれるのでしょうか?

興味は尽きませんね(笑)

今後の展開・・・・とても、楽しみにしてます・・・・・・

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。