“朝読書”・・・・・・毎日、継続してます!!
中学生でも歴史の勉強で登場する『大化改新』
高校の教科書でも、このようにまるまる1ページにわたり、
その全貌が紹介されてます。
皇極4年(645年)、中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我蝦夷・入鹿父子を
武力で排除しました。
まさに、絵にかいたようなクーデターです。
この『乙巳の変』が国政改革”大化の改新”の序幕でした。
この筋書きはあまりにも有名ですね(笑)・・・・・・・・
ところで・・・・・最近、色々と歴史的価値のある資料が、
全国のあちこちで発見されてます・・・・・
例えば、つい最近の道新にも・・・
このように・・・新史料の発見は、新聞にのるのもあれば、むしろのらない方が圧倒的に
多いのです。
さて・・・大化改新についても、残されていた資料は、
中大兄皇子・中臣鎌足中心に描かれた極めてかたよったモノでした。
高校生に日本史を指導させてもらい、
かつ
『歴史検定1級合格』を目指し、かれこれ4年もの間、勉強してる身としては・・・・
最新の”史実”に対しても、客観的に眺め、勉強しなければなりません!!
合格のためには・・・・最新の研究・データにも気を配らなければなりません。
そういったときにこの一冊を見つけてしまいました!!
最近、また、大化改新に関する新たな貴重な資料が発見されました。
それにより、この大化改新の背後にいた真の首謀者とその目的・・・・・
これがどうやら明らかになりそうです・・・・(歴史学者が今、検証中です)
“王位継承を軸にした”古代史の王権研究に大きな軌道修正を余儀なくされるかも。
乙巳の変がなぜこのタイミングで起こったのか?
さらには、
山背大兄王がなぜ、あの段階で滅び去ったのか?
鳥肌がたちました・・・・・
とても興味深く、好奇心がくすぶられました!!
今の中学生、高校生が勉強してる”歴史”は、
完全に“時代遅れの史実”を勉強させられてるってことになるのかもしれません。
例えば・・・・鎌倉幕府・・・日本初めての武家政権と教科書にも書かれています。
日本初の武家政権は、短命に終わったものの平清盛による政権であり、
彼の政治を『六波羅幕府』とする。
清盛は各地で成長してた武士の一部を荘園や公領の現地支配者である地頭に任命し、
武家の棟梁として畿内、西国の武士を家人に組織しました、その一方で政権基盤は
摂関家との構造と共通点は確かに多いですが・・・・
こういった観点から鎌倉幕府は、日本初の武家政権ではない!! とする学説もあります。
この学説を唱えるのは・・・東京大学の学者さんたちです!!
いまだ・・・・この論争には決着がついてません・・・・
『武家政権』の定義、『幕府』の定義等、諸々の話になってくるので・・・
いずれ・・・『六波羅幕府』という言葉は、歴史の教科書に載ることになります。
本日も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。