明治二年、新政府は全国各地で北海道への移民を大募集しました。
明治七年には、当時、生活に困窮する士族だけでなく平民にも募集対象を広げ、
移民全員に、
支度料や移住旅費、兵屋、家具、農具、医薬品のほか、
移住後三年間は米、塩菜料が支給され、兵農の義務はあったものの、
生活は保障されていました・・・・・
夢とロマンあふれる《北の大地》での、
人生を賭けたリスタート。
しかし・・・・現実は、想像をはるかに超える過酷なものでした・・・
明治十二年、旧徳島藩家臣 仁木武吉 は百十七戸の開拓移民を率いて仁木の地に移住し
た・・・・・その際、守護神であった八幡社、祇園社、地神社を仁木の地域ごとに鎮祭し
たのが創祀という。
明治三十六年、仁木の地域ごとに鎮祭していた諸神を合祀して鎮守神とし、社号を
仁木神社と改めた・・・・
仁木神社は、あの侍ジャパンの栗山監督のゆかりのある神社としても有名です。
社務所には、このような品々が展示されてました・・・・
今、我々が、北の大地、北海道で、こうして元気で暮らせてられるのも
明治初期の開拓移民の方々のおかげ、というのは言うまでもありません。
仁木神社・・・ここもまた、開拓移民の方々の心のよりどころでもあったんですね・・・
彼らの御苦労と御功績に対して、しっかりと手を合わせさせていただきました。
知られてるようで、意外にも知られてない”北海道の歴史” ”郷土の歴史”
神社巡りをしてると、そんな歴史にも触れることが出来るとともに、
郷土愛もふつふつと湧いてくるものです。
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。