建物としては・・・・山壁に張り付くようにひっそりとしていて、とても地味です。
手宮洞窟に描かれている彫刻(陰刻画)は、今から1600年前、続縄文時代中期~後期(本州
でいうところの弥生時代後期~古墳時代前期)のモノとされてます。
このころの北海道は、豊かな自然をバックボーンとし、縄文文化をさらに発展させた”狩
猟漁労採集文化”の時期です。
国内では、手宮洞窟のような彫刻は、現在のところフゴッペ洞窟(余市町)にしか発見され
てません。そのため、この彫刻を巡って色々な解釈がありました。
かつては、これを『文字』と考え、解読した人すら現れました!!
あの名曲『小樽のひとよ/鶴岡正義と東京ロマンチカ』の歌詞にも登場してます・・・・
〔2番〕”二人で歩いた塩谷の浜辺、偲べば懐かし、古代の文字よ~~”
驚くことに・・・・
アムール川(シベリア東側を流れる川)周辺にも、この彫刻とそっくりな岩壁画が数多く発
見されてます!!
このような岩壁画は、日本海を囲むロシア、中国、朝鮮半島にも見られ、手宮洞窟もこの
ような日本海を囲む大きな文化圏の一つで、この圏内では、ヒト・モノなどの交流があっ
たことがわかります。
そもそも・・・手宮洞窟は、1866年(慶応2年) 相模の国、小田原から朝里地区のニシン
番屋の建設に来ていた石工さんによって発見されました・・・・
たまたま・・・・建築用の石を探してる途中で岩壁にさまざまな文様がきざまれているの
を発見しました・・・・
その後、1878年(明治11年)に榎本武揚によって学会に発表されました・・・・
発見以来150年以上が経つ、この貴重な文化財である手宮洞窟・・・・・・
北海道独自で発展した続縄文文化の生活の様子をうかがい知れる大変貴重な史跡です。
『国指定史跡』としてその価値も認められてます。
かつて、港、鉄道、にしんで栄えた小樽。
いまも、当時の栄華は街中のあちこちに見ることが出来ます。
その一方で、それよりもずっと太古の昔・・・・・
採集・漁労・狩猟を生活の基盤とし、
厳しくも豊かな自然に謙虚に向き合いながら、心豊かに暮らしてた
続縄文期の人々の”命あるものすべてのものを尊重する”精神・・・・・
つまり”自然への畏敬の念”
こういったものが
この岩壁画からうかがい知れたように思えました・・・・・
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがちとうございました。