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2019
6/30

実力養成会通信 第1182号 ”難関私大/日本史記述対策” の巻

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◆山川出版/日本史B   『江戸時代初期の手工業、鉱工業』からの抜粋です。

 

江戸初期、『鉱山町』が各地で生まれました!!

なかでも、『銀』は、世界でも有数の産出量に達した・・・・とあります。

 

難関私大『記述』対策として、江戸初期の『鉱山町』について、掘り下げてみますね。

 

例えば・・・・山形県の銀山温泉・・・大正レトロで大人気。

私も3年前に行かせてもらいました・・・・

 

ここも、江戸時代初期、大銀山として栄えた鉱山町のひとつです!!

当時の人口は、5000人近くだったとされてます。

しかし、何で、こんな山奥に5000人も?

 

当時、この銀山に、各地から『山師』や『精錬をおこなう職人たち』が仕事を求めてやっ

てきました。

鉱山経営を請け負った『山師』は、大坂・京都を含む機内の人たち、北陸地方、中国地方

の人たちでした。

鉱山経営は、鉱脈を掘り当てられなければ、すべてが水の泡という博打的な要素がありま

した。

資金力や長年の経験に裏打ちされた判断力が大前提でした。

京都、大坂の豪商にうってつけです。

佐渡金山に携わった人たち(北陸地方)

石見銀山に携わった人たち(中国地方)

が一攫千金を夢見て、この地に集まってきたのです。

石見銀山の山師や精錬職人たちは、日本海ルートでこの大銀山に渡ってきました。

 

鉱石の運搬などの単純労働は、地元および近国の人たちが従事しました。

 

 

藩の財政基盤を考えた時、領内に鉱山町のような『人口の多い都市』を抱える事は、

非常に大きかったんです!!

 

この時代、主要な銀山は、幕府直営でしたね・・・・

しかし、教科書にあるように、

出羽の院内銀山、阿仁銅山は秋田藩佐竹氏が経営してました。

 

 

江戸時代、人口の8割は《百姓》でした。

ですから、諸藩は本百姓から徴収する年貢に財源を依存してました。

それだけに・・・・

鉱山が開かれれば・・・・・

そこには、鉱夫だけでなく、商人、医師、教師などに加え、その家族が加わり、一つの

町が形成されます。

そこで様々な商活動が行われ、色々な運上(営業税)が入ります。

特に、山師の収める運上が相当額だったといわれてます。

 

疲弊してた藩財政を安定させる、もしくは、V字回復させるために、

鉱山町は、無くてはならないモノだったのです。

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。