昭和の名曲『石狩挽歌』の記念碑がここ小樽旧青山別邸にひっそりとあります。
なかにし礼直筆の歌碑も。
石狩挽歌記念碑除幕式では北原ミレイさんも旧青山亭で『石狩挽歌』を熱唱されました。
ニシンは別名『春告魚(はるつげうお)』とも呼ばれます。
ニシンは3月から5月にかけ産卵のために大群でやってきます。
海岸一面が白く濁ります。
ニシン漁は、明治30年代にピークを迎えます。
まさに一大産業でした。
巨万の富を得たニシン漁の親方たちは、豪華な御殿や邸宅などを建築しました。
東北や北陸から出稼ぎにきた漁夫などの多くの労働者が寝泊まりした番屋も、
数多く立ち並んでました。
小樽の祝津地区にはニシン漁で大いに栄えた漁村集落が今も色濃く残ってます。
この祝津で巨万の富を築き上げた大網元が青山家です。
大正期、最高の素材と匠の技で6年半の歳月をかけ建てられた大網元の別荘がここ、
小樽貴賓館 旧青山別邸です。
ニシン漁は、紛れもなく、小樽の近代化を支えてきました。
増毛、浜益、留萌、小樽・・・・・
ニシン漁で栄えた当時の街並み、面影が今も多く残されてます。
そして、これらは『町の記憶』として大切に守られてきたものであり、
時空を超えた旅へといざなってくれます・・・・・・
北海道の歴史をもっともっと知りたい、そして学びたいと思ってます。
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。