ニュース・ブログ

2025
5/13

◆魅力あふれる北海道の歴史

ブログ

道南の上ノ国町には数多くの歴史遺産が満載です。

 

かつて日本海北方交易の拠点として栄えてました・・・・

 

意外に思うかもしれませんが・・・・

上ノ国には15世紀後半の

北海道の政治、軍事、交易の拠点となっていた”山城”がありました。

 

 

鎌倉末期、津軽の大豪族安藤氏がアイヌの人々と交易に関わるようになり、

北海道に進出します。

 

その後、室町時代に蝦夷ヶ島南端の渡島半島沿岸部に進出した和人、いわゆる”本州のひ

とたち”は活動の拠点として“館”と呼ばれる大きな建物を建て、現地でアイヌの人々と交

易をおこなうようになりました。これらを総称して “道南十二舘” と呼ばれて

ます。『函』というのもこの『』の一つでした。

 

和人のたちの進出は、一方で、アイヌの人々に対する圧迫をもたらし、これに対してアイ

ヌの人々の反抗がおきます。

『コシャマインの戦い』と呼ばれる大規模な蜂起です。

 

アイヌのリーダー、大首長コシャマインに率いられ、館の大久が次々に焼き討ちにあって

滅亡していきました・・・・

 

コシャマインの戦いは、最終的には上ノ国の領主であった蠣崎氏に身を寄せていた客将

田信広によって制圧されました。

 

やがて、武田信広は蠣崎を名乗り、道南の和人居住地の支配者としてその地位を固めてい

きました。

その後・・・・蠣崎氏は北海道唯一の大名にまで上りつめます。

 

信広の築いた山城が『勝山館』です。

これにより、本格的に日本海交易の拠点として上ノ国が機能するようになったわけです。

 

ここ『勝山館跡』では、”北の中世” をリアルに体験できる場所です。

 

 

昭和54年から開始されている発掘調査では、

中国、朝鮮、ベトナム、沖縄の出土品も数多く見つかっています。

東アジアにおける交易の一拠点であったことが推測されてます。

 

 

さらに遺構では和人墓、アイヌ墓なども発掘され、

和人とアイヌの混住も明らかになってます。

 

 

知れば知るほど、興味がわきます!!

 

 

北海道には、本州にはない独特の魅力あふれる歴史で一杯です!!

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。