先日の道新に“ズシリ”と私の心に刺さった『社説』がありました。
その書き出しは、以下の通りです。
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人間の感情には喜怒哀楽がある。
感情の強度で言えば、怒と喜であろろうが、
持続する深さで言えば、哀と楽といえよう。
私にはとりわけ『哀』が、人間の感情の感情の基調をなしてると思われ、
『哀』への傾斜はとりわけ日本人には顕著なのではないかと、とも思う。
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確かに、昭和の時代は
日本は元気に満ち、サラリーマンはひたすら働き、またよく遊んだと言われます。
しかし・・・・この活気というかバイタリティーの背景には
間違いなく『哀』が見え隠れしてたように思います。
先日のブログにも書かせてもらった“落ち葉焚き”にしても、
家族のだんらん、地域の人たちとのつながり・・・・
そして
いつもボールとバットで遊んでた道路もやがて舗装され、
車の往来で遊び場がなくなる・・・・
何か大事なものが失われてゆく、という気配があったように思います。
70年代、この『哀感』は、『昭和演歌』に代表される歌謡曲にもありました・・・・・・
昭和、平成、令和と時が進むにつけて、
ドンドン便利な世の中になりました。
と同時に、
社会からこの『哀』が見えなくなってきてるように感じてるのは私だけでしょうか・・・
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。
