平安初期の武将『藤原秀郷』
天慶二年(939年)・・・・あの”平将門の乱”を平定した『関東の豪族』
教科書にも出てますね。
さて、この秀郷、乱を平定した功により、下野守に任ぜられました。
まぁ、今で言えば、栃木県知事に任命されたって感じです。
まぁ、当時は、関東一の英雄でした。
秀郷は、下野の佐野というところに居を構えました。
『佐野の藤原』に憧れた若い武士たちが『佐藤』と名乗るようになりました。
秀郷の子孫で、近江の国、伊勢の国、遠江の国に移り住んだものもいました。
『近江の藤原』で『近藤』を
『伊勢の藤原』で『伊藤』を
『遠江の藤原』で『遠藤』と名乗りました。
同じ、秀郷の流れをくむものの、伊豆の国の”押領使”(今で言う警察みたいなもの)になっ
たものもいました。彼らは、『伊東』と名乗りました。
さてさて、この『藤原』という姓の源流は、皆さんご存知の、
中臣鎌足が大化の改新の偉業をやってのけた功績により『藤原』の姓を授かったというも
のでしたね・・・・・・・
日本史を勉強するって、楽しいですよ!!
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。