西郷どん、最終回・・・・・とても見ごたえありましたね。
西郷の最期は、放送されてませんでしたが、銃弾を2発受けた後、
側近に、『もう、よかと』と斬首させます・・・壮絶な最期を遂げるんですね。
結局・・・・・
西郷軍の敗北は、政府軍の威力を世に示し、もはや、揺るぎないモノに!!
これを世に高らかと示すことになりました。
その後は、おおむね、士族の武力反乱は、終わりを告げ、
政府の全国統治は安定化していきます。
さて、西南戦争後、不平士族の残党たちは、怒りの矛先を大久保に向けます。
連日、大久保の元には、脅迫状が送りつけられます。
大久保は、周りから護衛を強化するよう進言されますが、気にも留めず、
大胆な改革を次々に断行・・・死期が迫ってるのを知ってるかのごとく。
大久保は、側近にこう言ってたと言います。
『どんな時でも、困難からは逃げない』
1878年、5月14日、午前8時30分・・・・・大久保は、紀尾井坂で暗殺されます。
明治天皇への謁見の途中のこと。
49歳でした・・・・・・あまりにも無残で凄惨な現場でした・・・・・
大久保のことですから、こうなることを予期してないはずはありません。
心の盟友、西郷がそうだったように、彼もまた、死を覚悟して自分の道を
を貫いたんです。
大久保は、西郷からの手紙をいつも持ち歩いてました。
凄惨な暗殺現場には、血に染まった西郷からの手紙も発見されてます。
大久保には、数々の逸話があります。
西南戦争後の鹿児島は疲弊してました・・・・・
大久保は、私財を投げうって、疲弊した、鹿児島に食料とお金を送ってたと言います。
大久保が、もし、独裁者であれば、日本は、新しい指導者を迎え、日本は、また異なる路
線に進んでたでしょう!!
しかし・・・・
大久保亡き後、伊藤博文が国家のかじ取りをしていきます!!
大久保が、命を賭して、作ったレールを伊藤を中心とした日本国が進んでいきます!!
大久保は、自分の後に続く、後継者もしっかりと育ててたんです!!
やはり、20か月の欧米視察が、大久保をここまで、押し上げたんでしょう・・・・・
見えてる景色が、しっかりとあったんです!!
私が良く言う、『見えてる景色』の違いなんです!!
私は、大久保こそ、真のリーダーだと確信しています。
西郷は、大久保がいてくれたから・・・・
大久保は、西郷がいてくれたから・・・・
二人は、とても、中身の濃い人生を全力で走り続けることができたんだと思います。
西郷さん!!
↧
↧
大久保さん!!
↧
↧
安らかに!!・・・・・・・合掌。
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。