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2018
12/21

西郷どん・・か、ら、の・・『その時歴史が動いた/大久保利通』

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西郷どん、最終回・・・・・とても見ごたえありましたね。

西郷の最期は、放送されてませんでしたが、銃弾を2発受けた後、

側近に、『もう、よかと』と斬首させます・・・壮絶な最期を遂げるんですね。

 

結局・・・・・

西郷軍の敗北は、政府軍の威力を世に示し、もはや、揺るぎないモノに!!

これを世に高らかと示すことになりました。

 

その後は、おおむね、士族の武力反乱は、終わりを告げ、

政府の全国統治は安定化していきます。

 

さて、西南戦争後、不平士族の残党たちは、怒りの矛先を大久保に向けます。

連日、大久保の元には、脅迫状が送りつけられます。

大久保は、周りから護衛を強化するよう進言されますが、気にも留めず、

大胆な改革を次々に断行・・・死期が迫ってるのを知ってるかのごとく。

大久保は、側近にこう言ってたと言います。

『どんな時でも、困難からは逃げない』

 

 

1878年、5月14日、午前8時30分・・・・・大久保は、紀尾井坂で暗殺されます。

明治天皇への謁見の途中のこと。

49歳でした・・・・・・あまりにも無残で凄惨な現場でした・・・・・

 

大久保のことですから、こうなることを予期してないはずはありません。

心の盟友、西郷がそうだったように、彼もまた、死を覚悟して自分の道を

を貫いたんです。

 

大久保は、西郷からの手紙をいつも持ち歩いてました。

凄惨な暗殺現場には、血に染まった西郷からの手紙も発見されてます。

 

 

大久保には、数々の逸話があります。

西南戦争後の鹿児島は疲弊してました・・・・・

大久保は、私財を投げうって、疲弊した、鹿児島に食料とお金を送ってたと言います。

 

 

大久保が、もし、独裁者であれば、日本は、新しい指導者を迎え、日本は、また異なる路

線に進んでたでしょう!!

しかし・・・・

大久保亡き後、伊藤博文が国家のかじ取りをしていきます!!

大久保が、命を賭して、作ったレールを伊藤を中心とした日本国が進んでいきます!!

 

大久保は、自分の後に続く、後継者もしっかりと育ててたんです!!

 

 

やはり、20か月の欧米視察が、大久保をここまで、押し上げたんでしょう・・・・・

見えてる景色が、しっかりとあったんです!!

私が良く言う、『見えてる景色』の違いなんです!!

 

私は、大久保こそ、真のリーダーだと確信しています。

 

 

 

西郷は、大久保がいてくれたから・・・・

大久保は、西郷がいてくれたから・・・・

二人は、とても、中身の濃い人生を全力で走り続けることができたんだと思います。

 

 

 

西郷さん!!

大久保さん!!

安らかに!!・・・・・・・合掌。

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。