1543年、鉄砲伝来。
その後、”刀鍛冶” の確かな技術力で、あっという間に鉄砲が国産化されていきました。
鉄砲をどれだけ所有しているか?
これで、勝敗が決してしまうのです。
戦国大名たちは、競って鉄砲を購入しました。
この時代の火縄銃は、一発発射してから次の弾を打つまで非常に時間がかかりました。
二段、三段構えに隊列をつくって交互に発射する必要がありす。
余計に鉄砲の数が必要でした。
鉄砲の数を増やすと、当然、鉄砲を扱う人間を増やさなければなりません!!
とはいえ、当時の武士の人口は、一定でした。ですから、働き盛りの農民を、
なかば、強制的に連れてきて、足軽隊に仕立ててたわけです。
戦(いくさ)・・・・・・それは、鉄砲戦です。
死傷率は、格段高くなりました。
悲しいかな、足軽は、”消耗品” 扱いです。
“消耗品” は、次々と補充されていったわけです・・・・
このように、働き盛りの農民が、次々と足軽隊に編入されていきます。
結果・・・・・働き盛りの農民が減る・・・・コメの生産者が激減!!
それに反比例して、コメの消費者が激増!!
ここに、生産と消費のアンバランスが生じていきます・・・・
水田は、耕作するものがいなく、ドンドン荒れ果てていきます。
生産は、ドンドン低下していきます。
鉄砲は、これまでの、コメの生産と消費のバランスを壊し、
経済構造までも変えてしまったのです!!
そうなると・・・・・
日本全体の食糧が足りなくなってきます・・・・・
一般庶民は生活不安から政治を批判します(どの時代も同じですね)
米不足の根本原因である ”騒乱” の終局を望む声が、全国の至る所で起こってきます!!
こんな世論の期待にこたえて、信長が救世主のごとく登場してきたのです!!
生産と消費のアンバランスが極まった中で、民衆が期待したのは、
織田信長のような『破壊の英雄』だったのです!!
文字通り、信長は、中世的な社会を破壊しました。
信長が安定した社会に生まれていたなら、
あれほどまでの英雄になれなかったでしょうね。
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。