苦学生だった私は、
十勝管内広尾町字音調津というところで、
学生時代、2年連続で、
漁師さんの家に住み込みで昆布取りのバイトをさせてもらってた。
とにかくハードだった・・・・・・
海に落ち、本当に死にかけたこともあった・・・・・
20人近くいた大学生のバイト・・・・
2日目には10人
3日目には5人
1週間後は、私だけ・・・・・
とにかく、想像を絶する過酷さだった。
正直、逃げたかった・・・・・
でも、逃げるわけにはいかない事情があった。
シケで漁のない日は、ない日なりにやるべきことはわんさかあった。
通称“ひらい(拾い)昆布”・・・・・波に体を持っていかれ、死ぬ人もいる・・
しかし・・・・2週間に1度くらい”休み”があった。
その日も、何日か”シケ”が続き、休みの日だった。
精神的にもきつく、
そして、肉体的にも限界にきてた。
心が折れかかってた。
思い切って、気分転換に、帯広まで車を走らせた・・・・・
何をするでもなしに、ただ単に・・・・
帯広に行こう!!
当時は、駅前に『長崎屋』があった。
何気なく、入った『長崎屋』・・・・・・
入った瞬間・・・なんともいえない・・・カレーのいい香り。
ついつい、その香りに引き寄せられて、入ったその店が・・・・
当時の・・・・インデアンカレー帯広駅前長崎屋店だった。
衝撃の味だった・・・・・・
どことなく、母の作るカレーにも似てた・・・・・
とにかく、優しい味だった・・・・・
食べながら、不思議と、涙があふれ出てきてた。
母が無性に恋しかった・・・・・・・・・・・
折れかかってた心は、なんとか、持ち直すことが出来た・・・・・・
これが、私とインデアンカレーの出会いだ。
今から・・・・・41年前もの話だ。
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。