かなり前から気になってた一冊です!!
というのも・・・・継体天皇が『応神天皇の五世孫』であったのか、
それとも、まったく天皇家とは関係のない『近江の一族』であったのか、
という論争にも大変興味があったからです・・・・
筆者は、超有名な日本中世史研究の第一人者です。
そもそも、日本史を指導してると
『近江の重要さ』というのは、嫌でも認識させられます。
あの松尾芭蕉は、近江を『東西の巷』と表現してました。
巷(ちまた)とは、元々『分かれ道』とか『岐路』という意味です。
古代、戦国時代には首都が置かれました。
経済的には、京都、奈良、大阪へ米、穀物を供給するいわゆる『穀倉』として
重要な役割を果たしてきました。
琵琶湖は、太古の地殻変動で丹波高原が隆起したときに波及してできたと言われてます。
一見、交通の障害をなしてるように見えがちですが、
古代、中世においては、圧倒的な交通機能を果たしてました。
北陸の物資は、琵琶湖を航して、一気に坂本へ。
北陸や東国全般の物資が坂本に集中し、その後、大消費地である京都へ向かったわけで
す・・・・・・
そて、こういった物資の流れをスムーズにしてくれてたのが言うまでもなく琵琶湖です。
『近江』とは”近つ淡江”の意味で、浜名湖のある『遠江』に対して、
『近江』を充てたとのことで、湖の国の意味で、
近江に既に湖の国の意味があるのだと初めて知りました。
日本最初の法令が『近江令』
中世の村落自治と近江商人
正長の土一揆
信長の天下布武
比叡山とその門前町坂本、そして日本で最初の米市場
関ヶ原の戦い
なるほど・・・・・
近江は、紛れもなく・・・・『東西の巷』です!!
中世史研究の第一人者の大先生が
『近江史を勉強することは日本史を勉強することに他ならない』
という理由が分かったような気がしました・・・・
『近江』を学ぶことは『今』『未来』を考えることにつながる!!
とても、感銘を受けました・・・・・奥深い言葉です。
こりゃぁ・・・・・・もう行くしかないですね(笑)
実際に現地まで足を運び、自分の目で確かめる!!
近江には懇意にしていただいてる塾長さんもいらっしゃることですし・・・・
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。