『義経伝説』について書かせていただきます。
以前、ブログで書かせてもらったこともありますが、
また、改めて、書かせてもらいます。
東北、北海道の各地には数多くの“義経伝承の地” があります。
そして、そのほとんどが『観光スポット』になってます。
その一部をご紹介させていただきますと・・・・・
『松前、函館』・・・義経の上陸伝説。
『矢越岬』・・・松前郡と上磯郡の境にある岬。
義経主従の上陸を阻む妖怪を射た。
『弁慶岬』・・・寿都町、弁慶が岬に立ち、軍船を待っていた。
岬には弁慶の銅像が建てられている。
『雷電峠』・・・岩内町にある峠。義経がアイヌの”メヌカ”という娘と別れる際、
「来年に必ず戻ってくる」と言い残した。「来年」がなまって「雷電」となった。
観光対象となるということは、対象が過去の遺物として完成してるというコトです。
現代の日本人は、義経の死を確認したうえで、文芸を含め『義経生存説』を純粋に、
歴史ロマンとして楽しんでいます。
もちろん、私も『義経生存説』に心惹かれ、歴史ロマンを楽しみ、歴史の勉強をライフワークにしてる一人です(笑)
私の蔵書の一部です・・・・・
いかに『義経伝説マニア』か、バレバレですね(笑)
さて・・・・東北、北海道には、数多くの『義経伝承の地』があります。
その中でも『平取』がその”聖地”とまで言われてます。
義経は奥州平泉で藤原泰衡に襲われ、自らの館に火を放ち自刃したのではなく、
そう見せかけて、ひそかに陸奥から蝦夷地白神(現福島町)に渡り、西海岸を北上、
アイヌの集落が栄えてたピラトリ(現平泉本町)に、一時、居住し、住民を外敵より守り、
カムイ(神)として尊敬されました。
その後、新しく部下に加わったアイヌの若者や藤原氏残党とともに大陸へ向け出発したと
言われてます・・・・
アジアの大半を征服した蒙古のジンギスカンと義経を史実上の共通点の多さから、同一人
物とする伝えは有名です。
平取が義経伝承の聖地と言われる理由は、他にもあります・・・・・
平取には・・・・
義経を御神像として1799年に創建された『義経神社』という神社があります。
この続きは、明日のブログで・・・・・・
本日も最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。