今日から、3回に渡り、
私の数学感と、私がどのような思いを持って、数学を指導させてもらっているか?
この2点について書かせていただきたいと思います。
例えば、ピラミッド。
私たちが、ピラミッドを見て、畏怖の念にも近い感動を覚えるのは。何故でしょう?
ピラミッドがとても大きいからでしょうか?・・・・・私は違うと思います。
現代では、ピラミッドより大きな建造物を見ることは珍しくありません。
言うまでもなく、私たちはそれが造られたのが今から何千年も前だということに対して驚
きます。もっと言えばその時代にあのような巨大な建造物を作ることの出来たその石の
積み上げ方(技術)に神秘を思い感動するんだと思います。
ピラミッドの本当の価値はその石の積み上げ方にあるのではないでしょうか?
数学の公式や定理についても、まさに同じことが言えます。
それらがもたらす結果は、もちろん美しいものです。そして便利なものです。
しかし定理や公式の本質は、その美しさや便利さよりも、それらがどのようにして導き
出されたのかという、その証明過程にこそあるのです。
数学の歴史はとても古いです。
例えば紀元前7万年ころに描かれたという絵の中にも幾何学的模様を見ることかせてせき
ます。
紀元前3万年ころの遺跡の中に時間を表現しようとした形跡が見られます。
私たちにとってなじみの深い算術や幾何学に限ったとしても、少なくとも5000年以上の
歴史があります。
それに対して小中高の教育は12年。
この12年間のカリキュラムには5000年以上の数学の歴史の中で最も重要かつ最もエレガ
ントな定理や公式が詰まってます。
各時代、各時代で世界中で最も数学の出来た人たちの叡智の結晶が、小中高で習う数学の
定理や公式には詰まっていると言っても過言ではありません。
そして、繰り返しますが、その叡智の本質は定理や公式の結果にではなく、それが導かれ
たプロセスにあるんです!!
このプロセスこそ、私が生徒に伝えたい部分なのです。
この続きは、明日の通信で・・・・・・
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。