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2019
10/24

◆実力養成会通信 第1299号 ”今野の日本史ピンポイントレクチャー【大正政変】” の巻

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本日は、【大正政変】についてピンポイントレクチャーをさせていただきます!!

いつもの、授業のような、感じで、”ライブ感”満載で書かせていただきます!!

 

センター、私大入試でも超頻出テーマです!!

1912年7月30日、明治天皇が亡くなり、すぐさま、大正天皇が即位。

時代は、『明治』から『大正』へ。

明治45年が大正元年。

 

 

ところで、明治の歴代内閣は大丈夫ですね?

 

いくや、まいまい、おやいか、さかさ・・・

 

さか、の2つ目の『さ』は、第2次西園寺公望内閣、まだ明治だからね。

で、大正になって・・・・

(いくや、まいまい、おやいか、さかさ) からの・・・・・

 

やお、てはたか、かとうちゃん!! と続きます!!

 

大正になって、『』すなわち、第3次桂太郎内閣だよね。

 

さて、前置きはこのくらいにして、

 

第2次西園寺内閣の話。

日露戦争後のながぁ~い不況の中、緊縮財政でいくしかないのさ。

そんな中、1910年の韓国併合、さらには1911年の辛亥革命・・・・・

朝鮮半島の統治問題が!!

陸軍は、2個師団増設を要求!!

これに対して西園寺内閣は閣議で陸軍の要求を突っぱねる!!

すると・・・・陸軍大臣上原勇作は、単独で辞職。

陸軍は次の陸軍大臣を出しません!!

思い出してください!! 『軍部大臣現役武官制』ね。

だから、陸軍大臣の引き受け手がいないのさ。

これを『陸軍のストライキ』っていうからね。

でっ・・・・西園寺内閣は、総辞職に追い込まれたのさ。

 

でっ、次は誰? って元老たちの間でもゴタゴタが続いたあげく、またしても

『桂』・・・・・いくや、まいまい、おやいか、さかさ、やお・・・・の

桂が、三度目の登場って事になったのさ。

 

ところで・・・・『元老たち』の元老って?・・・・一応、確認しとくよ!!

 

元老とは、天皇の最高顧問さ!!

大日本帝国憲法では、天皇が後継首相を任命することになってたよね?

ところが、実際は、伊藤博文とか山県有朋、松方正義だとかの薩長有力者の会合で後継首

相を選定し、それを天皇へ推薦して天皇が任命するっていう慣例になってたのさ。

 

さて、話を戻しましょう!!

桂太郎・・・・長州、陸軍の大御所。だって、陸軍のストライキとか、陸軍とのゴタゴタ

を丸く収められるのは、当時、桂しかいなかった。

 

ところが、桂は、その時、府中を去り、宮中にいたわけ。

当時は、内大臣兼侍従長という地位さ。

 

『宮中、府中の別』を乱すな~!!・・・・・って感じで反対運動が起こったのさ。

 

最初は、一部の政治家、ジャーナリストだけだったんだけど、しまいには一般民衆まで!!

この反対運動を『第一次護憲運動』って言いますね。

スローガンは大丈夫だね?

基本中の基本!!

『閥族打破・憲政擁護』

ちなみに、”憲政”ってのは、憲法に基づいた政治、

“擁護”ってのは、守っていこう!!

だから・・・・このスローガンは

言い換えたら、特権を握ってる人たち(閥族)が勝手な政治をやらないように戦うぞ~って

感じです。

 

で、この第一次護憲運動の先頭に立ってた政治家2人

 

こみち行く声優』だからね!!

 

犬養毅 立憲国民党 と 尾崎行雄 立憲政友会

 

で・・・・注意してください!!

 

立憲国民党がみんな反桂になったわけじゃないからね。

この時は、犬養は、立憲国民党、そしてその後、政友会総裁となって

総理大臣となって、『五一五事件』で暗殺されます。

 

で、全国各地で、反桂の政治集会が開かれます。これを憲政擁護大会って言います!!

しまいには、デモ隊が国会議事堂を取り囲みます!!

これで、総辞職に追い込まれてしまったってわけさ。

だから、民衆デモで最初に倒された内閣が、この第3次桂内閣だからね。

これには、当時の支配者層の人たちは、かなりビビってたのさ・・・・・

 

でも、この間、桂は指をくわえて、待ってたわけじゃない!!

伊藤博文のマネをして、政党を作って政権を強固なものにしようと動いてたのさ。

これが、立憲同志会だから!!

このへんは、何ともややこしいから、しっかりと整理しておかないとならないから。

 

それで・・・・新政党の発足を宣言したのち、なんとっ!! 桂は急死・・・さぞ、無念だっ

たと思うんだよね。

 

この、一連の政変・・・大正2年、1913年に起こったので、『大正政変』って呼びます。

3度目の桂内閣、わずか53日で終ってしまいました・・・・・・

ちなみに、桂が死んだ後、立憲同志会の総裁は、桂の遺志を受け継いだ加藤高明!!

 

で、何とも、面白いことに、大正時代の最後に起こる第二次護憲運動で、この加藤高明が

護憲運動の中心人物として活躍するんだよね・・・・・。

 

以上、大正政変のピンポイントレクチャーでした!!

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。