ある生徒が、突然・・・・・『先生、徐福伝説って知ってますか?』
『うんっ知ってるよ!!・・・・・えっどうして?』
『今日、日本史の授業で、先生が徐福伝説を熱く語ってたから、先生も知って
るかなって思って・・・』
いやぁ~、日本史の授業で、『徐福伝説』を熱く語る先生・・・・いいなぁ~!!
きっと、無類の歴史愛好家なんでしょうね・・・・・
徐福伝説・・・・まだ謎に包まれてる部分はありますが、
私は、この伝説、大好きです!!
まぁ、ザックリ言えば、中国、秦の時代、日本が縄文時代から弥生時代に移り変わる時、
始皇帝の命であった、不老不死の薬を探して持ってこい!!ということで徐福以下3000人
の大船団が当時の日本に来て、というか日本のどこかにたどり着いたんです。
まぁ、いろいろな経緯はあるんですが、結局、中国へは戻らず、
彼らがその土地(日本)に溶け込み、稲作や鉄器などの文化を伝え、時代は弥生時代
となっていった・・・・という伝説です。
実際、中国の歴史書にもこの事実は記されてます。
徐福も実在の人物で、生家も発見されてます。
そして、佐賀県、和歌山県を始めとする日本全国に、今もなお『徐福伝説』は残り、
徐福を神として祀る神社も多く残ってます。
伝説地では、それぞれ焼き物、捕鯨、織物などをもたらした神として祀られています。
あの歴史学者、小和田哲男さんも、こう言ってます。
『徐福1人が我が国に稲作や鉄器の技術をもたらしたわけではなく、何人もの徐福のよ
うな渡来人が大陸から文物をもたらしたのは事実です。ただその象徴的人物が徐福とみ
ていいでしょう』
徐福たちは、秦の時代の人たち。
権力闘争に明け暮れてたんです。
そんな中、縄文後期の当時は、上下の隔たりはなく、みな平等、
そして、大きな争いごとのない当時の世の中は、まさに”桃源郷” のように思えたのかも
しれません。
ところが・・・・彼らがもたらしてくれた『稲作』『鉄器』は皮肉にも、
稲作の富と武器の鉄へと様変わりしていき、
権力者による支配の歴史が始まることにもなったんですね。
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。