日野富子・・・・・
足利義政の妻。
日本三悪女の一人に数えられています。
我が子をなんとかして将軍にしようとして画策し、応仁の乱まで引き起こす。
さらには、金儲けに目がくらんで高利貸しなどで富を築き上げた・・・・・
さしづめ、こんなイメージではないでしょうか?
この本には、富子の実像が描かれてます・・・・・
そこには、我々の従来のイメージとは、まったく異なる富子がいました。
本文『あとがき』より抜粋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時は、応仁の乱を中心とした激動の時代だった。
世界有数の大都会である京都はほとんど焦土になり、土一揆は荒れ狂い徳政をさけんで
いた。この動乱が下剋上の力学の行動となり、文化にも生活にも新しいものを生み出す
にいたった。
その中にあって日野富子は戦った。
応仁の乱を何のために戦っているのか?
応え得る人はほほとんどいなかった。
細川勝元も山名宗全もそうだった。
ただ、富子だけは自らの目的を失わなかった。
(中略)
そこで、富子は蓄財に走った。
金融業により、財力を拡充させ、それを朝廷や諸大名の信用を得るための資金として戦
乱の収捨を図ったのである。
(中略)
こうした、富子の働きから京から兵は一掃され、応仁の乱は終結を迎えたのである。
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日野富子がいなかったら、応仁の乱は終わってなかったでしょう・・・・・
様々な悪評をこうむりながらも、
毅然として
凛として
足利家を守るために生き抜いた、したたかな女性、日野富子・・・・・・・
京都のある小さなお寺に、富子の「座像」がまつられてます。
見慣れた座像の半分くらいの大きさだそうです・・・・・・・
作品そのものは五十歳を超えているのに、衰えを感じさせない、、きりっとした美しさを
伝えてるそうです・・・・
富子の遺志により、この小ささにしたそうです・・・・・
力一杯に生き抜いた富子にしては「?」となります・・・・
でも、この本を読めば、富子のこの遺志は、理解できます・・・・
京都宝鏡寺に富子の座像が人目を避けるようにひっそりと眠り続けてます・・・・
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。