ご存知、天下分け目の”関ケ原”
司馬遼太郎の名作『関ケ原』を映画化。
岡田准一演じる石田三成の生きざまを軸にし、
関ヶ原の戦いを真っ向から描き出した作品。
教科書では、『関ケ原の戦い』については、このように書かれてる。
なんとも、凹凸のない平板な内容だ。
“教科書”だから、こうならざるを得ない。
さらに、脚注には、
『石田三成、小西行長らは京都で処刑され、西軍諸大名93家・506石改易』
とだけある。
なぜ、三成・行長らは、自刃せず、京都で処刑(六条河原で斬首、晒し首)されることを
選択したのか?
また、
三成と確執が深く、三成の暗殺も考えてた加藤清正・・・・・
家康は、なぜ、加藤の軍勢を呼び寄せなかったか?
受験生でも、そこまで、知る必要性はない。
共通テストでも、
2次試験でも、問われることはない。
しかし・・・・ここを知る(推察する)ことこそ、
日本史を楽しむ醍醐味と言える。
なぜなら、日本史は、”血の通った人間たちのおりなすドキュメント”
だからだ。
テレビや映画、小説は多少なりとも脚色されており、
実態が異なることも多い。
タイムマシーンでも発明されない限り、確固たる真実を知ることは出来ないが、
残された、史料、史跡によって、真実に近づくことは出来る。
天下分け目の関ケ原・・・・・
極めて、政治的で、ドロドロした人間臭い争いであったことは、間違いない。
生前、三成は『正義と不義』という言葉をよく使っていた。
多くの書状にもそれが、史料として現存している。
関ケ原・・・・・三成にとっては、
正義をかけ、不義を討つ戦だったのだろう。
三成は、戦に負けた。
完膚なきまでに・・・・・・
彼が『斬首』の道を選択したのは、
たとえ、戦に負けようとも、最後まで、正義を貫き通したということに他ならない。
私は、こう思っている。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。