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2023
3/18

新琴似屯田兵村と新琴似神社

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札幌に対して・・・・『新札幌』

発寒に対して・・・・『新発寒』

 

でっ・・・・琴似に対して『新琴似』ということです。

 

 

今から、約150年前の明治8年、9年です。

そのころ(1874年)というと・・・・民選議院設立の建白書が左院に提出された年です。

 

北海道、札幌の地、今の琴似、山鼻地区で開墾が大々的に始まりました。

で、これに遅れるコト12年、明治20年に屯田兵が”新琴似地区”に入ったわけです。

 

当時の”新琴似地区”は、発寒川や琴似川の下流にあったため、ほとんどが泥炭地の一大湿

地帯だったといいます。

それを農耕地に変えようというのですから、そりゃぁ~大変な事業だったわけです。

 

当時の屯田兵本部の偉いヒトが巨大な排水溝を作る計画を生み出し、それによって開拓が

どんどん進んで行ったそうです。

この巨大排水溝の成功が、後の新琴似地区の農業発展につながったと言います……

 

この建物は、1886年(明治19年)に新琴似屯田村の本部として建てられ、”札幌市有形文化

財”に指定されてます。

146名の屯田兵とその家族の共同宿舎であると同時に、新琴似屯田兵村の”役場”のような

機能も兼ね備えた事務所でもあります。

新琴似に入植した屯田兵たちの出身地は福岡、佐賀、熊本、大分といった九州出身者がほ

とんどと言います。

 

彼らは、『この未開地を自分たちの手で開墾して第二の故郷を作る』という覚悟を持っ

て、九州とは全く異なる気候・風土の中、敢然と立ち向かっていったのでしょう・・・・

温暖な地から、厳寒の北の大地にやってきて、開拓に心血を注いだ彼らこそ、

新琴似の歴史の創始者と言えます!!

 

 

そんな彼らの『守護神』として”新琴似屯田兵中隊本部”の横に、

新琴似神社が鎮座してます。

『拓魂』・・・・まさに、胸に刺さるワードです!!

妻と二人で、しっかりと手を合わせてきました!!

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。