実際に、源頼朝の奥州合戦の際、敗れた奥州藤原氏の人々は一部、蝦夷に逃げました。
また、室町時代の御伽草子『御曹司島渡』には、義経が藤原秀衡の助言で『えぞが島』に
渡り、巻物を奪う話が克明に記されてます。
実は、このころから、既に義経と北海道との接点が生まれていみました。
これらの『伝説』『伝承』は、室町以降急速に広まった日本人特有の”判官びいき”の風
潮と相まって《義経蝦夷が島渡り説》を生み、やがて《オキクルミ伝説》に結び付けられ
て、語られ続け今に至ってます・・・・・
驚くことに・・・・
明治中期の歴史教科書には、源義経について、以下のように記されてます!!
『泰衡、ついに義経を攻む。義経逃れて蝦夷に入る。』
ちなみに・・・・
この教科書の著者そして校閲者は共に当時の帝国大学(東京帝国大学の前身)の教授です。
その後・・・・
義経生存説 と 歴史学会との長きに渡る攻防戦が繰り広げられます・・・・・
あの金田一京助も、アイヌ語学の研究と義経伝説の真偽の検証のため、
平取町、本別町に直接足を運びました・・・・・
でっ・・・・結果として、
空想の世界でも義経は、生きる場所を失いました。
しかし、一般大衆が歴史にロマンを持ち込む英雄として
源義経は、我々の心の中に、永遠と生き続けることでしょう・・・・・
本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。