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2019
7/20

★『逆・日本史』武士の時代、樋口清之/祥伝社黄金文庫より

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この本の中に、とても、興味深い事が書かれてました!!

今日は、これについて、書かせていただきます!!

 

 

江戸市街の道路が江戸城を中心に『らせん状』に外に向かっていく様子です。

家康は、なぜこのような曲線道路を作ったのか?

 

 

 

それは・・・・・

当時、決定的な戦力であった『鉄砲』に対するためだったそうです!!

 

鉄砲の弾は直線的にしか飛ばない。

曲線道路では、直線部分が少ないから、射程距離が極端に短くなる。

つまり、曲線道路で構成されてる江戸では、せっかくの”近代兵器”の鉄砲が、全く役に立

たないってことなんです!!

さらには・・・・曲線道路の両側に、武家の屋敷や町人の家を並べて密集させるると住宅

そのものが一種の砦になって、まったく見通しがきかなくなってしまいます。

 

人口が増加すれば、するほど、らせん状の環が厚くなり、江戸の防備が固くなるって事

だったんですね!!

 

実は、例外として、唯一、甲州街道だけが、江戸城から真っすぐ西へ伸びてるんです!!

 

甲州街道だけが直線道路で、しかも江戸城に通じてるのは、いざ将軍の身に危険が迫って

江戸城を捨てるときの逃げ道として作られたもんだったのです!!

 

このように、家康の都市計画は、堅固な江戸城を築いた上に、人間を密集して、江戸に住

まわせることで、江戸城を守らせ、さらには、逃げ道まで、事前に作っておくという驚く

べき防衛思想・・・・・あっぱれですね!!

 

 

林先生の『初耳学』に認定されるでしょうか?

いや・・・・林先生ならご存知でしょうね(笑)

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。