この本の中に、とても、興味深い事が書かれてました!!
今日は、これについて、書かせていただきます!!
江戸市街の道路が江戸城を中心に『らせん状』に外に向かっていく様子です。
家康は、なぜこのような曲線道路を作ったのか?
それは・・・・・
当時、決定的な戦力であった『鉄砲』に対するためだったそうです!!
鉄砲の弾は直線的にしか飛ばない。
曲線道路では、直線部分が少ないから、射程距離が極端に短くなる。
つまり、曲線道路で構成されてる江戸では、せっかくの”近代兵器”の鉄砲が、全く役に立
たないってことなんです!!
さらには・・・・曲線道路の両側に、武家の屋敷や町人の家を並べて密集させるると住宅
そのものが一種の砦になって、まったく見通しがきかなくなってしまいます。
人口が増加すれば、するほど、らせん状の環が厚くなり、江戸の防備が固くなるって事
だったんですね!!
実は、例外として、唯一、甲州街道だけが、江戸城から真っすぐ西へ伸びてるんです!!
甲州街道だけが直線道路で、しかも江戸城に通じてるのは、いざ将軍の身に危険が迫って
江戸城を捨てるときの逃げ道として作られたもんだったのです!!
このように、家康の都市計画は、堅固な江戸城を築いた上に、人間を密集して、江戸に住
まわせることで、江戸城を守らせ、さらには、逃げ道まで、事前に作っておくという驚く
べき防衛思想・・・・・あっぱれですね!!
林先生の『初耳学』に認定されるでしょうか?
いや・・・・林先生ならご存知でしょうね(笑)
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。