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2022
6/1

鎌倉殿の十三人に見る『北条義時』

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日本史を指導させてもらってる立場として、

 

『北条義時』と言えば・・・・

 

 

①時政の子で、2代執権。

②1213年、和田義盛を滅ぼし、侍所別当も兼ね、執権の地位を確立。

~和田氏の他、比企氏など有力御家人をことごとく排斥。

③後鳥羽上皇と対決した承久の乱では御家人の力を結集し、

鎌倉幕府軍を勝利に導いた張本人。

~~『朝敵』とされながらも、後鳥羽上皇にひるむことなく、敢えて立ち向かっていった

“男”義時!!

④義時が1213年に、執権として幕府内の実権を完全に掌握したことで、

以降、執権は北条氏の世襲となり、泰時、時頼の代に最も安定。

その後、蒙古襲来以降は得宗専制に傾いていった。

 

 

何を言いたいか?

 

北条義時と言えば・・・・・その真価が発揮されるのは、

頼朝の死後から!!

 

 

頼朝がまだ生きている頃の義時は、あくまでも“脇役”でしかない。

 

すなわち・・・・

頼朝が生きてる間は補佐役

頼朝没後に最高権力者!!

 

 

でっ・・・・前回の放送が全47話中の21話・・・・

 

ドラマも・・・・そろそろ折り返し地点・・・・・

 

このペース(ドラマの進み具合)でいくと・・・・・

 

義時の

比企氏の排斥、和田義盛の討伐、

執権政治の確立者、

承久の乱を勝利へ導いた立役者、

 

こういった(頼朝没後の)歴史的評価の数々は・・・・・ドラマ上では、スルー?

 

 

そんな不安すら覚える今日この頃でした・・・・・・・

 

 

とは言え・・・・・・

あくまでも、人間『北条義時』のドラマでしたね(笑)・・・・

 

執権政治がどうのこうの・・・・

承久の乱がどうのこうの・・・・

後鳥羽上皇がどうのこうの・・・

有力御家人の排斥がどうのこうの・・・

 

こんなことには蓋をして・・・゜

 

純粋に”人間ドラマ”として、楽しまなきゃダメですね・・・・・

三谷さんもここにフォーカスしてるんだと思います。

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

【追記】

先日、この一冊を読みました!!

今、かなり売れてる一冊だそうです。

とてもタイムリーですし、

この一冊で”鎌倉殿の十三人”をより深く楽しめると思います!!