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2022
10/11

HBCテレビ/世界遺産『縄文の謎、北海道・北東北遺跡群』より【後編】

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普段、日本史を指導させてもらってる立場で書かせてもらうと・・・・

 

縄文時代と言えば・・・

 

“縄文海進”により今の、日本列島が形成され、自然環境の変化が、

縄文時代の社会を作っていったわけです・・・

列島各地では、狩猟・漁労・採取が盛んにおこなわれ、

様々でバラエティーに富んだ食料獲得が可能になったことで、

定住化が進みました・・・

また、呪術的風習も見受けられ、貧富の差のない社会でした。

 

この縄文時代は、

なんとっ!!  1万3000年も前から始まり・・・1万年以上も続いてたのです!!

 

今は・・・・2022年です・・・・縄文時代の1万年に比べたら、まだ、

たかだか、2000年つまり、”縄文時代においては、5分の1″が過ぎただけ、

こんなイメージです。

 

さて・・・北海道・北東北の縄文遺跡群ですが、

教科書には書かれていない、様々な貴重な情報を知ることができます。

 

彼らは・・・既に、1万年前から、津軽海峡を行き来してたんです!!

 

 

知れば知るほど、ドンドン引き込まれていきます。

 

縄文遺跡群は、かつて日本列島に『定住型の狩猟採取社会』という世界的に見ても珍しい

社会が存在してたことを示してます。

 

なぜ、北海道・北東北で、縄文時代に定住が可能だったか?

冬の食料はどのように確保されてたのか?

 

ここが最大の謎でした・・・・

 

答えは・・・・『クリ』

 

既に、彼らは『クリ』主食としてたんです!!

 

 

農耕をせずに採集・漁労・狩猟を生活の基盤としながら、定住が可能だった背景には、

『クリの木』栽培してた!!   という事実があったのです。

 

実際に・・・・三内丸山遺跡のこの巨大建造物もクリの木で作られたものです。

 

クリを主食とし、時には漁労、時には狩猟、時には採取・・・・

『自然と共生した文化』が北海道・北東北には存在してたのです!!

 

同じ時代、世界各地では、農耕や牧畜を行いながら定住するようになります。

しかし、農耕をせずに、クリの木の栽培と漁労・狩猟・採取を生活の基盤とし、

定住を持続しました。

また・・・縄文時代の集落では、周りに壁や策を立てたり、溝を掘ったりして、

外から侵入されないようにするといったことがなく、とても開放的なのも大きな特徴で

す。外国の都市が城壁で囲まれたり、弥生時代の集落に環濠があったりするのとは、

対照的です!!

『戦争』のような大規模な争いを示す遺跡や遺物は皆無です。

また、舟による交通・交易システムもかなり高度化され発達しており、

遠隔地方や他文化とも密接に交流を持ってました!!

 

このことから・・・

縄文時代の社会は、他者を受け入れる多様性の社会だったといえるのでしょう・・・

縄文時代は、1万2000年も続いた穏やかな時代、豊かな精神性と人々が自然の中の一員と

して平等に生きる という思想が芽生え、根付いた時代だったのです。

縄文時代がなぜ、1万年以上も長きにわたり続いてたのか?

 

理由も納得できますね・・・・・・

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。