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2019
9/19

☆実力養成会通信 第1264号 ”難関大日本史対策『蒙古襲来絵巻』後編” の巻

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蒙古襲来絵巻から見えてくるもの・・・・・・後編です。

武士がなぜ一騎打ちを挑んだか?

それは、恩賞のため!!

 

3人のフォーメーションを組む元軍に一騎打ちを挑んだ理由も同様です。

 

蒙古襲来絵巻に描かれてる武士は、九州肥後の御家人、竹崎季長です。

竹崎は、『恩賞が欲しい!!』その強い思いが

元軍の放つ毒矢の雨を浴びながらも先駆けに逸らせたのです!!

 

元寇のあった、鎌倉後期。

 

多くの武士は、経済的にどん底の状況でした。

貨幣経済の発達による出費の増大。

そして、分割相続の繰り返しによる所領の細分化。

 

この時代、武士のほとんどは、農民です。

長い間、自分の所領で取れる農作物に経済的基盤を置いてきました・・・・・

どんどん生活が厳しくなり、先祖代々伝わってきた所領を質に入れたり・・・

 

 

こういった状況の中で、幕府から命がきたのです。

 

『元軍の襲来に備え、九州で警護しなさい!!』

 

当然ながら、旅費は自分持ち・・・・・・

御家人のほとんどは、先祖代々から伝わる所領を手放し九州博多にはせ参じたのです。

 

竹崎季長 も こういった御家人の一人でした・・・・・

 

 

さて・・・・一回目の元寇である『文永の役』が元軍の撤退という形で終了しました。

竹崎は、肥後に戻った後、恩賞はまだか・・・・と首を長くして待ち続けました・・・

 

しびれを切らし、肥後から鎌倉まで実に2か月以上かけて出向いたんです・・・・・

恩賞がもらえないのは、ちゃんと”上”の人に話がつたわってないからだ!!

このように考えてたんです。

当時の季長の行動は、このように山川史料集に紹介されてます。

結果、恩賞は得られませんでした・・・・・・・・・・・・

 

朝廷も幕府も国をあげて頑張ったんです!!

鎌倉武士、西日本の武士、御家人、非御家人みんな頑張って、

未曾有の危機を乗り切ったんです!!

 

しかし・・・・

元寇は、攻めてきた軍勢を追い払っただけ・・・・・・・・

敵から土地を奪ったわけではありません。

 

あとは、皆さんご存知の通りですね・・・・・・・

 

蒙古襲来絵巻から見えてくれモノ・・・・・・

困窮と言う現実に直面した武士たちの『悲哀さ』と『一所懸命さ』ではないでしょうか?

 

【一所懸命の地】

中世の時代、国衙、近隣諸勢力との争いに絶えず悩まされ続けてきた武士(在地領主)に

って、先祖伝来の所領は、まさに命を賭けて守ったことから、”一所懸命の地” と呼

ばれてた。(山川用語集より)

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。