蒙古襲来絵巻から見えてくるもの・・・・・・後編です。
武士がなぜ一騎打ちを挑んだか?
それは、恩賞のため!!
3人のフォーメーションを組む元軍に一騎打ちを挑んだ理由も同様です。
蒙古襲来絵巻に描かれてる武士は、九州肥後の御家人、竹崎季長です。
竹崎は、『恩賞が欲しい!!』その強い思いが
元軍の放つ毒矢の雨を浴びながらも先駆けに逸らせたのです!!
元寇のあった、鎌倉後期。
多くの武士は、経済的にどん底の状況でした。
貨幣経済の発達による出費の増大。
そして、分割相続の繰り返しによる所領の細分化。
この時代、武士のほとんどは、農民です。
長い間、自分の所領で取れる農作物に経済的基盤を置いてきました・・・・・
どんどん生活が厳しくなり、先祖代々伝わってきた所領を質に入れたり・・・
こういった状況の中で、幕府から命がきたのです。
『元軍の襲来に備え、九州で警護しなさい!!』
当然ながら、旅費は自分持ち・・・・・・
御家人のほとんどは、先祖代々から伝わる所領を手放し九州博多にはせ参じたのです。
竹崎季長 も こういった御家人の一人でした・・・・・
さて・・・・一回目の元寇である『文永の役』が元軍の撤退という形で終了しました。
竹崎は、肥後に戻った後、恩賞はまだか・・・・と首を長くして待ち続けました・・・
しびれを切らし、肥後から鎌倉まで実に2か月以上かけて出向いたんです・・・・・
恩賞がもらえないのは、ちゃんと”上”の人に話がつたわってないからだ!!
このように考えてたんです。
当時の季長の行動は、このように山川史料集に紹介されてます。
結果、恩賞は得られませんでした・・・・・・・・・・・・
朝廷も幕府も国をあげて頑張ったんです!!
鎌倉武士、西日本の武士、御家人、非御家人みんな頑張って、
未曾有の危機を乗り切ったんです!!
しかし・・・・
元寇は、攻めてきた軍勢を追い払っただけ・・・・・・・・
敵から土地を奪ったわけではありません。
あとは、皆さんご存知の通りですね・・・・・・・
蒙古襲来絵巻から見えてくれモノ・・・・・・
困窮と言う現実に直面した武士たちの『悲哀さ』と『一所懸命さ』ではないでしょうか?
【一所懸命の地】
中世の時代、国衙、近隣諸勢力との争いに絶えず悩まされ続けてきた武士(在地領主)に
とって、先祖伝来の所領は、まさに命を賭けて守ったことから、”一所懸命の地” と呼
ばれてた。(山川用語集より)
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。