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2019
10/12

実力養成会通信 第1287号 ”難関私大日本史対策/元禄文化②” の巻

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さて、『元禄文化』の2回目です。

いやぁ~、2回で元禄文化、終わりません(泣)

朱子学と陽明学と古学の”さわり”だけで終わっちゃいます・・・・ごめんなさい!!

私の日本史の授業の雰囲気だけでも、感じていただければ・・・・と思います!!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ところで、『朱子学』ってそもそも、何なの?  ってところから説明しますね。

 

もともと、中世では、禅宗のお坊さん、禅僧ですね、彼らが修行の一環として、

朱子学を学んでたんですよ!!

 

京都の相国寺の『藤原惺窩』って人が、還俗(俗人に戻ること)して、禅宗の朱子学を民間

にも広めていったのさ。

 

 

それで、藤原惺窩が家康の”顧問”みたいな感じになって、惺窩の推薦する林羅山が、

家康のアドバイザーになったのさ。林羅山も元々は、建仁寺の禅僧だったのさ。

 

この羅山の系統を”林家(りんけ)”って呼ぶんだけど、羅山はやがて江戸に行って、その

息子も、孫たちも代々将軍家に仕えるようになっていったわけ。

このあたりは、近世の最大のテーマとなる学問史の出だしのところだから、しっかりと頭

に入れておくこと!!

 

でっ、

京都で朱子学を広めていった藤原惺窩は『近世の儒学の祖』って言われてるからね。

弟子が林羅山、そして松永尺五ね。この三人に始まる学派を『京学派』といいます。

 

その一方で、応仁の乱のとき、京都は荒れ放題、それで、公家や学者さんたちは、地方の

戦国大名を頼って続々と地方へ下って行ったわけだよね。

その中に、南村梅軒って人もいたのさ。土佐だよ。

この南村梅軒に始まるとされる土佐で起こった朱子学の一派、これを南学(海南)派とい

うから、これは大丈夫だね?

弟子に谷時中、そしてその弟子の野中兼山

兼山は土佐藩の家老までやった人、難関大はよく狙われるから!!

それと弟(おとうと)弟子にあたるのが山崎闇斎ね。

 

で、ここで、朱子学の内容につても少し説明しておきましょう。

例えば、『なぜ、歩きスマホはいけないか?』という”問い”を立てるのさ。

朱子学では、『なぜ、いけないか?』という問いに対して、そもそも正しい人のあり方と

は?・・・・・って感じで、グダグダ(?)とこの辺の部分から説明していくのさ・・・

 

これは、中国の南宋時代に登場した『朱熹』っていう学者さんの立てた理論なのさ。

この理論で学んで行こうぜ!!というのが朱子学さ。

『朱熹』が死んだのは1200年、ちょうど頼朝が死んだ翌年でしょ?

それで、まとめると、『なぜ、歩きスマホはいけないか?』という問いに対して、

グダグダと、延々と・・・・理屈をくちゃくちゃ、こねくり回していくって感じなのさ。

だから・・・・空理空論的な傾向になりがちになるわけ。

そこで、理屈はいいから、ダメなものはダメ!!

世の中から”歩きスマホ”をなくすことが、大事でしょ!!って言う考えというか”批判”も出

てくるのさ・・・・・

 

それでってことで、『知行合一』を唱える『陽明学』が出てくるのさ。

『朱子学』は、やれ忠義はこうだとか、礼儀は、やれこうだとか、空理空論でただ理屈ば

かりこねくり回してる・・・・実践をもっと重要視するべきでない?

だから、歩きスマホはいけない という課題を与えられた時、この世から歩きスマホを

くすためにどう行動するか?・・・・・これが陽明学の立場さ。

『知行合一』って知識とは行動を伴って、初めて意味のあるものになる!! 

 

さて・・・この陽明学なんだけど、明の王陽明って人が唱えたものなので、陽明学って

呼ぶわけさ。王陽明は、朱子学を批判して実践を重視することを提唱したのさ。

実は、日本には、朱子学と陽明学は、ほぼ同時に入ってきたのさ。

陽明学を本格的に受け入れたのが、『中江藤樹』という人。色々な逸話のある、なかなか

変わった人、いい意味でだから、それで『近江聖人』って呼ばれてます。

で、藤樹の、一番弟子で、朱子学を批判して弾圧を受けた人が『熊沢蕃山』

蕃山は、岡山藩の池田光政に仕えたことでも有名だね、晩年は下総の古河に幽閉されて

弾圧を受けたもんだから入試にもちょくちょく出るだね。

幕府がドンドン広めたい朱子学を批判したためさ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

でっ次に登場するのが『古学』ってやつさ・・・・

ところで、朱子学にしても陽明学にしても、朱熹、王陽明と言う中国の学者さんの説を学

ぶことからスタートするわけさ。

そもそも、儒学の根っこ、ルーツって、孔子・孟子だよね!!

孔子・孟子の後、1000年以上たって出てきた学者さんの唱えた説を学ぶよりも、

いっそのこと、直接、孔子・孟子の書いた本を読んで原点に立ち返らない?・・・・・

これが『古学』さ!!

この『古学』、最初に主流となっていったのが京都堀川に起こった『古義学』

伊藤仁斎、東涯親子さ。

で、山鹿素行聖学、で荻生徂徠古文辞学って感じで

ドンドン派生していくんだよね。

 

いゃ~、もっと色々と書きたいんですが、長くなったのでこの辺にしときます。

 

 

今野の日本史の授業は、いつも、こんな感じです!!

 

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。