私が、ある小学校で臨時教員をしていた時の話です。
余りのある割り算を指導してました。
『10÷4』は、どうなるだろう?
例えば、桜もち10個を4人で分けるとどうなるだろう?
具体的に考えてみようよ!!
こんな感じで話してたんです。
すると、ある生徒が・・・・・・・
『ボクんちは、とうさんとかあさんが2個ずつ、ボクと妹で3個ずつ、食べます』
『だから、余りはありません』
この生徒の答えを聞いた時、涙がでました・・・今でも、ハッキリ覚えてます。
算数的には、『10÷4=2、余が2』が正解・・・・・
でも、実生活、特に、この生徒にとっては、余りはないのです。
私が、当時、感じたのは、この生徒の家庭の温かさであり、この生徒の柔軟な発想でし
た・・・・・・・このような思いから胸が熱くなり、涙しました・・・・・・
『学ぶ』ってことは、『正解』を求めるって事だと思うんです。
しかし、状況によっては、『正解』が一つとは限りません。
見方、考え方を変えることで、何通りの答えになることもあります。
それどころか、正解の存在しない問題だってあるでしょう。
『答えが存在しない』のも正解一つなんです。
人と人の間に必要な『答え』は、
正しい答えではなく、この生徒が言ったような『優しい答え』なんでしょうね。
相手に正しい答えを求め過ぎるのは、
相手にとって、目に見えない”負担”になるかもですね・・・・・・
算数的には、【正しい答え】> 【優しい答え】
でも、人と人の間では・・・圧倒的に 【正しい答え】 < 【優しい答え】
恥ずかしながら、
私はこの生徒から、このような、貴重な事を学ばせてもらいました。
毎年、桜もちを食べるころになると、不思議とこの生徒のことを思い出すんです。
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。