いつも、書いたり言ってることですが・・・・
受験においては、『教科書』が全ての真実です!!
日本史だって当然そうですからね。
このことを踏まえての話です・・・・・
◆教科書(山川出版)『鎌倉幕府成立』について、こんな感じで記載されてます。
◆一方『平氏政権』についての記載です。平氏政権の説明は、ほんの少しだけ。
◆さて・・・・・・
いわゆる、源平合戦(治承寿永の乱)を制した源頼朝によって、鎌倉幕府は開かれました。
まぁ、成立時期については諸説色々ありますが、鎌倉幕府は、『初の武家政権』と言わ
れることが多いですね。
そもそも、『幕府』とは、中国で出征中の将軍が幕を張った本陣の事を言い、
日本では、『武士の打ち立てた政権』という少し、あいまいな感じで使われてます。
ですから・・・・『鎌倉幕府』って、かなり、ザックリと言えば、
『鎌倉に本社のある東国中心の巨大警備会社』って感じです!!
ところで・・・・・実は、平清盛だって、政権を手中に収めてたんです。
【山川史料集より】
しかし、清盛は、天皇家に親族を嫁がせて権力を手にしたため、武家政権ではないという
のが、現時点での通説です。・・・
上の史料集でも【武門の棟梁】⇒【武士で初めての太政大臣】としか説明されてませ
ん・・・・
とはいえ、『軍事警察権』という面から見れば、実は、その機能は鎌倉幕府とほぼ同じ
です!!
清盛の嫡男、重盛は、東海、山陽、南海道の治安警察権を任されました。
三男、宗盛は、左・右近衛大将に任じられました。
さらには、諸国の武士たち・・・・彼らを上京させ『大番役』につかせました。
これが平氏政権の実態です!!
鎌倉幕府もこのスタイルを踏襲しています。
また、清盛自身も福原に住んで天皇と距離を置くことで、
その独立性をキープしてました。これもまた、鎌倉幕府と共通してます。
この様な理由にから、平家が拠点とした京都六波羅の名をとって、
一門の政治体制を『六波羅幕府』と称している学者さんたちもいます。
頼朝の政権を【幕府】と呼ぶなら平家一門の政権だって【幕府】でしょう・・・・
こんなスタンスなんでしょう。
『幕府』の定義をどう考えるか?
要は、ここなんですね。
今後の研究、議論次第では、歴史常識がガラッと変わるかもしれないって事です。
歴史って、おもしろいですね・・・・・
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。