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間違ってても、大丈夫!!

ヒント無しで、自力で頑張ってみよう!!

間違いは、恥ずかしいことじゃない!!

 

 

生徒に問題を解かせるときに、私がいつも言ってることです。

 

 

特に、新規で入会した生徒であれば、『先生、次に、どうすればいいんですか?』

『こうやって計算すればいいんですか?』等々聞いてくるケースもあります。

 

聞くことは悪いことではありません。

次にどうするか?の助けを求める生徒は、とにかく『正解』にたどり着きたいんです。

その現れです・・・・・ですから、それだけ真剣ってこと。

 

それを踏まえた上で、

あえて、私は、極力、生徒に自力で解くよう指示します。

 

ヒントをもらいながらの正解より、

自力で解いた(考えた)”トンチンカン”な間違いの方がずっといいんです!!

 

いつも、このような形(ヒントをもらいながら)で問題を解いてるとそれが常態化します。

“他力本願”になっていきます・・・・・・危険なことです。

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【1月3日、高2生センター数学10時間特訓】

 

私は、

生徒は、どこで間違えたのか?

生徒は、どのような考えで、問題と向き合ったのか?

生徒の着眼点はどこだったのか?

 

ココが、見たいんです!!

 

修正すべき部分を明確にしたいんです!!

 

間違いをおそれず、ドンドン、自分の手で解いていく!!

 

とても大切なことですし、私がいつも大切にしてることです!!

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【自習中の3生K君】

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

2018
1/27

1/27『龍馬伝』より

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感動したシーンがありました!!

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龍馬がある若い志士に対してこう言いました・・・・・

『なんちゃ、しばられず、お前の生き方をすればいいぜよ』

 

時は、幕末。

尊王攘夷の吹荒れる京の茶菓子屋の軒先。

 

攘夷のためなら喜んで命をささげるというこの若者。

龍馬は、この若者が、土佐藩主山内容堂に踊らされているだけ・・・・

容堂の状況を知ってるからこそ、この若者に、このように言いました。

 

藩主・・・・・この若い志士にとっては親よりも大切な雲の上のヒト・・・・・

 

結局、この若者は、容堂の手下の侍に無残にも斬られました。

 

 

容堂の”したたかさ”

若い志士たちの”ひたむきさ”

そして、龍馬の”友を思う気持ち”

 

これらが、絡み合いながらストーリーが展開していきます。

 

この時代、特に若い志士たちは、尊王攘夷派にしても開国派にしても、

皆、命をかけて、その志を貫いてたんでしょう。

 

命をかけて、自分の志を貫こうとしている若者。

実は、藩主容堂に、いいように利用されているだけ。

龍馬は、彼を見て、いてもたってもいられなくなりました。

しょせん、『死んだら終わり』

彼の心の奥の底まで、見抜いてた龍馬があのように言ったわけです・・・・・・。

 

 

このように、龍馬の友を思う気持ち・・・・・・・

それが、人を呼び、そしてまた人が 集まる・・・・・

 

 

『龍馬伝』を見てて、いつも思うことがあります。

 

それは、

『因果応報』

 

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

2018
1/26

1/26失敗する権利

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特に、オーストラリア人の多くの親は、子供が小さいころから何でもやらせるようです。

えっ?・・・・・・と思うような事でも・・・・・

 

成功するためには、失敗が必要不可欠!!  このように思ってるからだそうです。

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じゃ、日本は?

そう考えた時、私も含めて日本の親は、なんでもかんでも、失敗させないようにする傾向

がかなり強いのでは?・・・・・・・そう思ってしまいます。

 

さらには、子供をもつ親に限ったことではなく、、

日本の社会全体が一般的に失敗に対して寛容ではないのでは・・・・・・

 

 

例えば、不幸にも会社を倒産させてしまった経営者が表舞台にま復帰するのは、なかなか

難しいのが現実です。

 

それに対し、オーストラリアでは、倒産させてしまったことそれ自体がかけがえのない経

験としてあつかわれるんです!!・・・・・・国民性と言えばそれまでですが・・・・

 

人材育成、部下の育成・・・・・・『育成』という視点で考えた時、

相手に『失敗する権利』を与えることが相手の自発性を生み出すことにつながると思うん

です・・・・・・・・・

 

これは、生徒に対しても、同じことが言えると思います。

 

 

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

特に、中央大学の理工、明治大学の理工のマーク式の問題についてです。

 

この大学については、比較的良問ぞろいですが、

 

中には、見通しがさっぱりつかない!!

 

何を言いたいのかが、皆目見当がつかない!!

 

このような、難問もたびたび出題されてます。

 

そんな時は、

 

『解答の選択肢』を注意深く見る!!

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解答の選択肢を見た時・・・・・・・・

『似たようなものがたくさんあるな・・・・』

ではなく、

『これらの中でどれが問題に適してるんだろう?』

だとか、

『全部、aとbで表現されてる・・・・ひとまず、aとかbで全部書き換えてみよう』

だとか、

『選択肢がみな等比数列の和の形になってる!!・・・公比を考えればいいんだ』

 

このように、

解答の選択肢から逆算して考える!!

解答の選択肢の特徴を利用する!!

 

こういった戦略も必要になってきます。

 

 

今日も、最後まで、無読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

平安初期の武将『藤原秀郷』

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天慶二年(939年)・・・・あの”平将門の乱”を平定した『関東の豪族』

教科書にも出てますね。

 

さて、この秀郷、乱を平定した功により、下野守に任ぜられました。

まぁ、今で言えば、栃木県知事に任命されたって感じです。

まぁ、当時は、関東一の英雄でした。

 

秀郷は、下野の佐野というところに居を構えました。

『佐野の藤原』に憧れた若い武士たちが『佐藤』と名乗るようになりました。

 

秀郷の子孫で、近江の国、伊勢の国、遠江の国に移り住んだものもいました。

『近江の藤原』で『近藤』を

『伊勢の藤原』で『伊藤』を

『遠江の藤原』で『遠藤』と名乗りました。

 

同じ、秀郷の流れをくむものの、伊豆の国の”押領使”(今で言う警察みたいなもの)になっ

たものもいました。彼らは、『伊東』と名乗りました。

 

 

さてさて、この『藤原』という姓の源流は、皆さんご存知の、

中臣鎌足が大化の改新の偉業をやってのけた功績により『藤原』の姓を授かったというも

のでしたね・・・・・・・

 

日本史を勉強するって、楽しいですよ!!

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。