ニュース・ブログ

2024
7/27

◆3年前とは別人?!

ブログ

3年前に北大総合理系に合格したH君!!

 

偶然にもコンビニでバッタリ遭遇!!

実に3ぶり・・・・

 

顔は日焼けして真っ黒!!

 

しかも・・・ゴリゴリのマッチョ!!

 

 

 

どうしたの????????

 

 

 

なんとっ!!     ボート部に入ってた!!

 

3年前は ”ボート感” は全くのゼロ!!

 

つい先日も、伝統の東北大との定期戦で見事勝ったと嬉しそうに話してくれました。

 

 

うぉ~!!      ボート部のHPにもしっかり載ってるじゃん!!

 

 

いやぁ~~、変われば変わるもんですね(笑)

 

 

部活も勉強も充実して、まさに青春を謳歌してました。

 

ちなみに、ボートで一番大事なのは体力だそうです。

次に大事なのはクルーメンバーとのコミュニケーションだそうです。

 

ということで、入学してからは趣味が『筋トレ』になったというから、

あのマッチョぶりも納得です(笑)

 

毎朝5キロのランニングもしてるそうです。

 

彼の激変ぶりに感動しました!!

 

顔つき、体格、マインド、全てがアスリート!!

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

昭和の名曲『石狩挽歌』の記念碑がここ小樽旧青山別邸にひっそりとあります。

なかにし礼直筆の歌碑も。

石狩挽歌記念碑除幕式では北原ミレイさんも旧青山亭で『石狩挽歌』を熱唱されました。

ニシンは別名『春告魚(はるつげうお)』とも呼ばれます。

ニシンは3月から5月にかけ産卵のために大群でやってきます。

海岸一面が白く濁ります。

 

ニシン漁は、明治30年代にピークを迎えます。

まさに一大産業でした。

巨万の富を得たニシン漁の親方たちは、豪華な御殿や邸宅などを建築しました。

東北や北陸から出稼ぎにきた漁夫などの多くの労働者が寝泊まりした番屋も、

数多く立ち並んでました。

小樽の祝津地区にはニシン漁で大いに栄えた漁村集落が今も色濃く残ってます。

 

の祝津で巨万の富を築き上げた大網元が青山家です。

大正期、最高の素材と匠の技で6年半の歳月をかけ建てられた大網元の別荘がここ、

小樽貴賓館 旧青山別邸です。

 

ニシン漁は、紛れもなく、小樽の近代化を支えてきました。

 

増毛、浜益、留萌、小樽・・・・・

ニシン漁で栄えた当時の街並み、面影が今も多く残されてます。

そして、これらは『町の記憶』として大切に守られてきたものであり、

時空を超えた旅へといざなってくれます・・・・・・

 

北海道の歴史をもっともっと知りたい、そして学びたいと思ってます。

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

お見事です!!    高1生で数検2級合格!!

 

 

立命館慶祥高1生(SP生)が今回の数検で2級(数ⅡBC)合格しました!!

 

 

一貫高1生と言えども、数検2級の範囲は、学校ではほぼ未習領域です。

 

 

高校数学は『先取り』

 

 

部活では全国大会に出場し、遠征の連続で時間のない中での対策となりましたが、

しっかりと結果を出してくれました!!

 

 

素晴らしい過ぎます!!

 

次は『準1級』です!!     年内に必ず合格ですね!!

 

 

I know you can do it.

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

かねてより要望のありました、高2、高3生『医系小論文』の添削指導をスタートします!!

 

1週間に1テーマ!!

 

 

この夏休みは『絶対に押さえておかなければならない4テーマ』

フォーカスします!!

 

 

添削は、私、今野が責任を持ってやります。

 

 

◆第1回目の問題は、以下の通りです。

 

【問】 カリフォルニア州の刑務所に服役する囚人が心臓移植を受けた際に、これに対し

て、『心臓移植を待ってる患者は数多くいるのに、わざわざ州民の税金をたくさん使って

囚人に心臓移植をする必要があったのか?』という反応があった。

この反応についてあなたの考えを400字程度で述べよ。

 

 

鉄板の『医療資源の配分』に関する出題です。

 

 

該当者は・・・・今野まで!!

次の2点を意識して書くこと。

 

①すべてのヒトに同じ水準の良質な資源が行き渡ることが理想ですが、現実にはそれが出

来ません。理想と現実のジレンマを前提に、このジレンマをどう解決しますか?

 

②君たちの『バイオエシックスへの理解度』が問われてます。

 

 

翌週の月曜日の夜までに添削して戻します。

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

いまの北海道があるのは『ニシン・石炭・鉄道』この3つのお陰。

と言っても過言ではないと思ってます。

 

浜益の歴史は、札幌のそれよりもずっ~と古く、遠く江戸時代にさかのぼります。

 

浜益は江戸時代には『ハマシケ』と呼ばれてたそうです。

当初は『マシケ(増毛)』の一部でした。

 

安政3年(1856年) 山形県酒田から移住してきた『白鳥英作』に始まります。

翌年、浜益は江戸幕府直轄の漁場となり、自らも漁場の経営に乗り出しました。

その後、甥の白鳥浅吉が漁場の経営を引き継ぎ、さらに漁場を拡げ、

明治32年(1899年)に番屋を新築します。

これが白鳥番屋の始まりです・・・・・

この白鳥番屋が、現在の浜益郷土資料館です。

 

明治中期、浜益でも大量のニシンが獲れました!!

ニシンは、この浜益の地にも計り知れないほどの富をもたらしました!!

 

明治38年の漁獲高42000トンをピークに以後、徐々に減少していきます。

当時の浜益は、どの浜も活気に満ち溢れてました・・・・・

 

浜益郷土資料館には、当時使用されていた『漁具類一式』『ヤン衆の生活スペース』など

かつての”ニシン文化”を垣間見ることが出来ます・・・・・

 

 

もともとは小樽のニシン漁を題材とした演歌ですが、

ニシン文化を知れば知るほど・・・・

あの名曲『石狩挽歌』が胸に刺さりました・・・・

 

海猫(ゴメ)が鳴くから、ニシンが来ると

赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆が騒ぐ

雪に埋もれた番屋の隅で

わたしゃ夜通し飯を炊く。

あれからニシンはどこへ行ったやら

破れた網は問刺し網か

今じゃ浜辺で オンボロロ

オンボロボロロー

 

沖を通るは 笠度丸

わたしゃ涙で にしん曇りの 空を見る

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。