キッカケは歴史雑誌『歴史人』のこの記事でした・・・・・
で・・・・・この一冊を見つけました!!
大化の改新について、教科書では、
中大兄皇子が中臣鎌足の協力を得て、蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼした(乙巳の変)とある。
そのためだろう・・・・
蘇我氏は、権勢を誇り過ぎた結果、大化の改新で滅亡させられた・・・・
という悪役イメージが付きまとう。
田沼意次にしかり、日野富子にしかり・・・・・
数年前に読んだこの小説も、入鹿は、ダーティーなイメージで書かれていた。
さて・・・・
蘇我氏は、大化の改新(乙巳の変)で滅亡したわけではない。
滅ぼされたのは蝦夷・入鹿の蘇我氏本宗家のみ。
蘇我氏の氏上が、蝦夷・入鹿系から倉麻呂系に移っただけに過ぎない。
蘇我氏の地を引く王族は、奈良時代半ばに至るまで、倭王権を統括する大臣家としての地
位は揺るぎなく、古代を生き延び、そして、中世を迎える・・・・
古代氏族蘇我氏の興亡をたどると、
乙巳の変における『蘇我氏の滅亡』という表現は、まったく史実を誤っていて、
それ以降の古代史を必死に生き抜いてきた蘇我氏〔および石川氏・宗岳(そが)氏とその一
族〕に対して失礼なものだと思ってしまう・・・・・
そもそも、
渡来人を配下に置くことによって手に入れた当時としては最新の統治システムの独占。
“最新の統治システムの独占” という点では、
違いがあるモノの、藤原氏と蘇我氏の権力を手中に収めるまでのプロセスは、数多くの共
通点がある。
不比等の子の武智麻呂、房前、宇合が蘇我氏の血を濃く持っていたわけだから、
摂関期の藤原氏と天皇家とは、蘇我氏と”身内関係”にあったと言える。
つまり・・・・
8世紀の律令国家の中枢は、天智・天武兄弟と蘇我氏と藤原不比等の3者の血によって、
構成されていた・・・・こういうことだろう。
私が知りたいのは・・・・
教科書や歴史小説では味わうことのできない『歴史のほんとう』だ。
「歴史のほんとう」を知ることが、
歴史の愉しみであり、そして醍醐味でもある。
本日も、最後まで読んでいただきありがとうございました。