ニュース・ブログ

腰痛で苦しめられる・・・・・・

だからこそ、健康のありがたさが身に染みてわかる。

 

腰痛に・・・・ありがとう。

 

とても、つらい経験をしたからこそ、人の優しさがわかり、

人に優しくなれる。

 

つらい経験にありがとう。

 

 

クレームによって、

色々な事に気付かせてもらえる、そして振り返り、初心に戻ることが出来る。

 

クレームにありがとう。

 

 

期間限定の札幌駅のストリートピアノでご一緒させもらった青年。

あり得ないような偶然で、帰りのJRの中でバッタリ再会。

 

出会いにありがとう・・・・・・そして、偶然にありがとう。

 

 

 

どんな出来事も、ありがたいことに変わる!!

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

北嶺5年生(高2生)も、この夏、普通に第2回全統マーク模試を受験します!!

 

学校からは・・・・

東大、医学部志望者は、7割以上(630以上)達成!!

難関国公立志望者は、6割以上(540以上)達成!!

の指示が出ています。

 

高3生ではなく、高2生です!!

 

ご存知のように、現高2生の代から、大学入学共通テストとなりますが、

そんなの“お構いなし(?)”で、高2の時点で、全国の受験生と同じ土俵で、

真剣勝負します・・・・

 

 

さて・・・・北嶺5年生、数Ⅲ『合成関数・逆関数』に突入しています!!

ちなみに・・・札幌南高3年生は、数Ⅲ積分突入です、一貫校である北嶺をはるかに上回

るペースで進んでます!!

ですから、札幌南の進度がどれだけすごいか・・・・ってことです。

 

 

さて、北嶺5年生(高2生)、この日の指導から『数Ⅲ極限』に突入しました・・・・

『極限』・・・・生徒にとっては、まったく“新しい概念”です!!

 

“無限”を扱います!!

当然、”有限”の処理と異なる部分が出てきます。

 

『極限計算の基本』は教科書に当たり前のように書かれてます!!

生徒は、この当たり前のことを当たり前のこととして、用います!!

この当たり前を、厳密に議論しようとすると、高校数学の範囲を超えます!!

しかし・・・私は、この辺の部分にもメスを入れ、指導してます。

『直感的』に理解しておけば大丈夫な部分ですが、大学数学の立場から、根底から指導し

てます。

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

1543年、鉄砲伝来。

その後、”刀鍛冶” の確かな技術力で、あっという間に鉄砲が国産化されていきました。

鉄砲をどれだけ所有しているか?

これで、勝敗が決してしまうのです。

 

戦国大名たちは、競って鉄砲を購入しました。

 

この時代の火縄銃は、一発発射してから次の弾を打つまで非常に時間がかかりました。

二段、三段構えに隊列をつくって交互に発射する必要がありす。

余計に鉄砲の数が必要でした。

鉄砲の数を増やすと、当然、鉄砲を扱う人間を増やさなければなりません!!

 

とはいえ、当時の武士の人口は、一定でした。ですから、働き盛りの農民を、

なかば、強制的に連れてきて、足軽隊に仕立ててたわけです。

 

戦(いくさ)・・・・・・それは、鉄砲戦です。

死傷率は、格段高くなりました。

 

悲しいかな、足軽は、”消耗品” 扱いです。

“消耗品” は、次々と補充されていったわけです・・・・

 

このように、働き盛りの農民が、次々と足軽隊に編入されていきます。

結果・・・・・働き盛りの農民が減る・・・・コメの生産者が激減!!

それに反比例して、コメの消費者が激増!!

 

ここに、生産と消費のアンバランスが生じていきます・・・・

 

水田は、耕作するものがいなく、ドンドン荒れ果てていきます。

生産は、ドンドン低下していきます。

 

鉄砲は、これまでの、コメの生産と消費のバランスを壊し、

経済構造までも変えてしまったのです!!

 

そうなると・・・・・

日本全体の食糧が足りなくなってきます・・・・・

一般庶民は生活不安から政治を批判します(どの時代も同じですね)

 

米不足の根本原因である ”騒乱” の終局を望む声が、全国の至る所で起こってきます!!

 

こんな世論の期待にこたえて、信長が救世主のごとく登場してきたのです!!

生産と消費のアンバランスが極まった中で、民衆が期待したのは、

織田信長のような『破壊の英雄』だったのです!!

 

文字通り、信長は、中世的な社会を破壊しました。

 

信長が安定した社会に生まれていたなら、

あれほどまでの英雄になれなかったでしょうね。

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

数学が苦手な生徒の数Ⅲ部分積分の指導例です・・・・・

 

今までは、部活で思うように勉強ができませんでした・・・・

部活終了と同時に、ギアチェンジして、今は、死に物狂いで頑張ってます!!

時には、私から、かなり厳しいことも言われ、

自分の不甲斐なさに、悔し涙を流したこともありました・・・・

 

しかし、部活で培った、並外れたガッツで苦手を克服しようと取り組んでます!!

 

何としてでも、第一志望校突破してもらいます!!

 

 

この日は、数Ⅲ、部分積分の指導でした!!

 

苦手な生徒であればあるほど、公式にあてはめ、ゴリゴリ計算しようとします・・・

まず・・・・公式の成り立ちから ガッチリと説明し

そもそも部分積分とは?・・・・・本質的な話もしてます。

最初だからこそ・・・・・キチッとした”計算フォーム”にのっとり計算させてます!!

『検算』も当然、させてます!!

数学が苦手な生徒にとって、部分積分は、やはり、”鬼門” となります・・・

とはいえ、・・・・理系です、逃げるわけには、行きません!!

本人も、決して、ひるむことなく立ち向かってます!!

 

部分積分こそ、習うより慣れろ”

 

 

Practice makes perfect.

 

 

 

“ラーニングピラミッド”ではありませんが、

“説明” だけでは、分かったつもりで終ります。

 

とにかく、”自分の手” で解かなきゃダメなんです!!

自分の手で、泥臭く、何度も何度も、反復するしかないんです!!

しっかりと解けるようになりました!!

 

あとは、反復あるのみ!!

 

 

I’ll stand by you.

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

11月下旬の日本史検定1級に向けて、日々勉強を継続してます。

その成果(?)という訳ではありませんが、

色々と新しい”発見”だとか”気付き”もドンドン増えていきます!!

 

 

受験日本史という立場にたったとき、

16世紀、鉄砲の果たした役割は?・・・・と聞かれたら

 

戦法(→足軽鉄砲隊の登場)、築城法(→強固な防御施設)を変化させ、

戦国時代の終結を早めることになった・・・・・

 

これが正解です。

 

しかし、さらに、歴史の大きな流れからみていくと・・・・・・・・

鉄砲伝来は、戦国時代の終結を早めたばかりではなく、

コメの生産と消費の経済構造までも変えた・・・・・

このようにとらえることもできます!!

 

 

1543年、8月、暴風雨に遭遇した一隻のポルトガル船が日本の種子島に漂着しました。

 

このとき、ポルトガル人は、“火を吹く筒” を使ってはるか遠くに置いた標的を射抜きま

した!!

島民は、みな、ビックリ!!

島の領主、種子島時堯は、その素晴らしさに感銘し、多額の銀を与えて、

“火を吹く筒”二挺を手に入れました。

これが、有名な『鉄砲伝来』です。

 

この突発事件が、戦国時代に終止符を打ち、安土桃山時代と言う新しい時代を作る原動力

となったのです。

しかし、この鉄砲伝来は、決して偶然ではなく、世界史の流れから見れば必然的な出来事

だったといえます!!

 

この時代は、いわゆる『大航海時代』

スペイン、ポルトガルは、世界の富を求めて、海外にドンドン進出してました。

 

 

ポルトガル人が、”近代兵器”の鉄砲を携え、日本にやって来るのは、時間の問題でした。

 

同じころ、南米のインカ帝国にもスペイン人が鉄砲を携え、訪れました。

インカの住民たちも、種子島の人たちと同じように、その威力に度肝を抜かれたことで

しょう。

ただ・・・・

日本の場合と、決定的に違うのは、数百人のスペイン人が訪れたということです。

この違いが、悲劇的な違いでした・・・・

数百挺の鉄砲でインカは、ほしいままに殺戮され、わずかの間で、大帝国が滅亡したとい

うことです。インカ帝国の滅亡・・・・・鉄砲伝来のわずか10年前です・・・・・・

 

この続きは、明日のブログに書かせていただきます。

 

 

本日も最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。