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金田一京助氏の『日高国義経神社の由来』によると・・・・

 

アイヌの始祖は”オキクルミ”

 

アイヌ神話によると、国造りの神が人間界を作った際に、

オキクルミは様々な試練を受けた後、人間界に降臨。

 

農業、造船、狩猟の技術、そして神を敬うことの大切さなどを教え、

飢饉を救い、悪鬼どもを退治してアイヌの生活の一切をのもとを開いた英雄とされていま

す。

 

オキクルミ =     義経

 

平取の義経伝説の真相はこうです・・・・

 

アイヌの人たちは、なんと・・”オキクルミ” を ”判官様” と翻訳してたと言います。

 

これには、深い事情を抱えてました。

 

結論から言うと、

 

アイヌではない蝦夷地土着の和人が

『義経 = オキクルミ』という”罠”によって、

アイヌ支配、あるいは同化政策の一環として利用した可能性が

大いにあると指摘してます。

 

数の上からすれば・・・・

土着和人よりもアイヌの方が圧倒的に人口が多いわけです。

 

義経とオキクルミの同一化は・・・・

アイヌよりも精神的に優位に立つうえで都合が良かったのです・・・・

 

土着和人が、アイヌ支配の歴史的根拠として、利用した《罠》が

義経 =     オキクルミ

 

金田一氏は、このように結論付けてました。

 

よく、こう言われます。

歴史とは history・・・・・his story《彼の物語》

では《彼とは?》

それは勝者・・・・・・

 

平取の義経伝説は、

土着和人がアイヌのひとたちより、精神的優位に立つために仕掛けた罠

つまり、

土着和人たちの”ストーリー”だったのでしょう。

 

 

そして,時が経ち江戸時代の末期のこと。

幕府の”北方調査”の命を受けた近藤重蔵が、この地を訪れ、

コタンの酋長と交流を持ち、何か心に惹かれるものがあったのでしょう。

その後、江戸にもどり、有名な仏師に木像を作らせ、翌1799年にこの地に”御神像”として

贈りました。

 

これを受けたコタンの酋長はアイヌにはない風習に戸惑いながらも、重蔵から贈られた御

神像をこの聖地に安置しました・・・・

これが平取義経神社の起源です。

 

【前編】【中編】【後編】の3部作の予定でしたが・・・

この3つに収まり切れませんでした(汗)

 

明日の【完結編】で最後のまとめたいと思います・・・・・

 

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

速報です!!

 

 

高1進研模試、総合学年9位!! 

 

 

素晴らしい結果です!!

 

 

 

さて・・・・研修にいらっしゃった先生たちが、皆、一様に驚くのが、

毎朝の早朝スカイプ授業です。

 

世界広し・・・

久米宏 といえども(?)

 

毎日、早朝の5:30~からスカイプ授業をしてるのは、

実力養成会ぐらいでしょう(笑)

 

また・・・・このようなことは、どこの塾もまねのできないことでしょう。

 

 

どこの塾もまねのできないことを、

 

我々は、普通に当たり前にやってます!!

 

 

しかも・・・『やるだけ』では、ありません。

そこに『しっかりとした結果』を実現しています。

 

 

習慣化された行動こそ、最強であることを、

我々は行動をもって示してます。

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

判官贔屓(ほうがんびいき)

弱い立場に置かれ、厳しく、しんどい状況に立たせてる者に対して、

同情を寄せる・・・・

 

 

遠くの昔より、多くの人々に愛され続けてる義経。

 

その想いが『判官贔屓』の語源となり、

歌舞伎の『勧進帳』を始めとする様々な芸術作品にもなりました。

 

そして・・・気づけば・・・数々の義経伝説を全国各地で生み出しました。

 

そもそも、この伝説のルーツは・・・・・

 

江戸時代、あの朱子学者 ”林羅山” が著書(本朝通鑑)の中で、

『義経は衣川で死んではいなかった、蝦夷島へ逃げ延び、そこで、残りの余生を

幸せに過ごした』と記しており、これが火付け役となって義経は北海道に渡った!!

という伝説が広まったとされてます。

 

全国にも義経の名前の付いた名所が数多くあります。

 

北海道にも

函館、松前、江差、寿都、岩内、積丹、平取、新冠、本別等々、

120か所以上あると言われてます。

 

一般的なルートとしては、

平泉➩八戸➩竜飛岬➩北海道木古内➩松前➩江差➩寿都➩岩内 と日本海側を進み

洞爺湖➩支笏湖➩平取➩新冠➩本別・・・・そして、最後は留萌に至ります。

 

そのなかで・・・・道内最大の伝説とされてるのが平取です。

平取町には、なんと『義経資料館』もあります!!

 

でっ・・・そもそも・・・なぜ、北海道なのでしょうか?

 

そこには、明確な理由があります!!

 

徳川幕藩体制は日本列島のほとんどを支配下に組み入れました。

しかし、蝦夷地は例外でした。

 

確かに松前藩は支配下にありましたが、それ以外の蝦夷地は、

まさしく未知の領域でした。

当然ながら情報量も少ない・・・・和人(アイヌ)が独自の文化を育んでいるらしい・・

 

つまり、幕府も松前藩も “蝦夷地北部は異国”  であり、”闇の領域” だったのです・・・

 

義経生存の空想を育てることのできる格好の場所だったのです!!

 

 

実は・・・・あの金田一京助氏が、昭和5年に『日高国義経神社の由来』と題した論文を

発表してます。

 

実際に、事の真相を究明すべく、平取に何度も足を運び・・・・・

一つの結論を導いたのです・・・・平取の義経伝説の真相と義経神社の由来を。

 

論文によると・・・・・

 

続きは、明日のブログということで・・・・

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

ある生徒のお父様から、嬉しい報告をいただきました!!

 

高2進研記述模試、文系総合学年1位!!

 

 

英語も学年1位

➩ドラゴンイングリッシュの成果、ありまくりです!!

 

 

 

お父様は、このようにおっしゃってました・・・・

『中学生のころを考えると、ここまで成績が伸びるとは正直想像してませんでした』

 

 

 

“継続しか力にならない!!” を行動で示してくれました!!

彼の“凡事徹底”の積み重ねがこのような結果を生み出してくれました。

 

 

この生徒は、中2生の時から、実力養成会に通ってくれてます!!

しかも・・・・バリバリの向陵中出身者です。

 

 

高校入試は、単なる通過点であって、所詮、予選リーグでしかありません!!

実力養成会は、高校進学後のことをしっかりと視野に入れた指導をさせてもらってます。

 

 

 

実績の実力養成会です!!

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

人一倍、歴史に興味があるからこそ、もっと知りたい!!

 

調べる ➩ 知識が広まる ➩ もっと知りたい ➩さらに知識が深まる

 

これが・・・歴史が得意になる典型的なパターンです!!

 

では・・・私の ”歴史大好き” ぶりの一端をご紹介させていただきます。

 

 

 

神社というのは、ざっくりと言えば “神様のおうち” です。

と同時に・・・・尊い神様のための“お祭りを行う場所” でもあるわけです

 

ですから・・人々が集い、コミュニティーが盛んにおこなわれる場所でもありました。

 

古来の神社は、山や川、岩など、自然そのものを神として崇拝してきまし

た・・・・”神羅万象”ってヤツですね。

 

ですから、すべてのあらゆる物に神々が宿ると考えられてきたため、

日本の神社では「刀」や「鏡」「岩」「ヒト」など、

ありとあらゆる物が神様として祀られています。

 

そして・・・・あの義経を神様として祀っている神社の一つが

 

平取町にある義経神社です!!

ちなみに・・・十勝管内本別町にも義経神社があります(ココは家族で行きました)

この地にもまた、義経伝説が、、、

 

このように・・・・日本各地には数多くの”義経”伝説が存在します。

“判官びいき” と言われる”国民性”からくるものですね(笑)

 

江戸時代に起こり、近代まで生き続けた義経生存説。

そして・・・”敗者の弁”として成立した《判官びいき》

平取町の義経神社に対して、リスペクトの想いを込めながら

私の個人的な思い、見解、願望等々を、

【前編】【中編】【後編】の3部作でお届けさせていただきたいと思います。

 

 

あくまでも、日本史の講師という立場ではなく、

単なる日本史マニアという立ち位置で書かせていただきます。

 

 

 

 

本日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。