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モーツァルトの音楽、ピカソが描いた絵に心動かされるように、

数学の定理や公式にも感動があります。

 

しかし、その感動は、結果だけを眺めても、あるいはその結果を『あてはめて』問題を解

いてみても、決して得ることはできません。

その感動は証明に触れ、先人たちの偉業に触れることで初めて得られるものです。

『おお~すっげぇ』

『ああ、賢いなぁ~』

と思えるものが証明のプロセスにはあります。

そして、その感動が数学へのさらなる興味を呼び覚まし、数学の面白さに気づくきっか

になります。

 

残念ながら、学校のカリキュラムの中では、宿題やテストに追われて一つ一つをゆっくり

味わう時間はなかなか持てません。

しかも、今の教育現場は・・・・

『さあ、これが2次方程式の解の公式だ、しっかり覚えるように!!』という残念な状況に

もあります。

そのせいで、たくさんの数学嫌いが生まれてしまったのは本当に悲しいことです。

だからこそ今、私は、定理や公式の証明に存在する感動を一人でも多くの生徒に伝

えたいと思って、指導させてもらってます。

 

数学の『力』とは、論理の力です。

 

では、そもそも論理とは?

 

昨日の通信で”ピラミッド”の例を出しましたが、

論理力とはまさに意思を一つ一つ積み上げるかのごとく、物事を考えることができる力で

す・・・・・・とはいえ、やみくもに積み上げたのではそれはすぐに崩れるでしょう。

次なる石はどこに積み上げるべきか学ぶ必要があります。

そこでその論理の積み上げ方を先人たちが残してくれた証明に学ぶんです!!

 

過去の数学の天才たちの発見した定理や公式の証明を学ぶことは、その天才たちに数学を

習うようなものです!!

目の付け所、式変形の工夫、補助線の引き方など学ぶべきところは、

たくさんあります。私たちにとって、この天才たち以上の先生はいないのです!!

 

個々の問題の解法を覚えることは、数学の力を育てるという立場に立ってみると、ほとん

ど何の役にも立たないでしょう。

定理や公式をの結果を丸暗記することも無意味です。

 

しかし、もし数学においてただ一つ覚える価値のあるものがあるとしたら、

それは、定理や公式の証明の仕方です・・・・・

 

 

続きは、明日の通信で・・・・・・・

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

2018
4/8

4/8 衣替え

ブログ

世界的に見ても、日本は、春夏秋冬の四季がはっきりしています。

 

当然ですが、夏と冬では、大きく異なります。

ですから、夏と冬では、着るものは全然違ってきます・・・・・

 

季節によって、着るものであったり、身につけるものを変えることを『衣替え』と言いま

すね。

日本では、昔から6月1日を着るものを冬物から夏物に変える『衣替えの日』とされてま

す。この逆の『衣替えの日』は、10月1日です。

 

この『衣替え』の習慣は、なんと・・・平安時代の天皇家や貴族の行事から始まったと言

われてます。

最初は、中国の風習をそっくりまねて、旧暦の4月1日、10月1日を夏服と冬服を着替える

日とし、これを『更衣』と呼んでたそうです。

 

その後、季節による取り換えは、衣服以外についても行われるようになりました。

扇などの持ち物、床の間にかける絵画、ふすまなどの調度品まで夏ものと冬ものが出来

て、様々な衣替えが行われるようになりました・・・・・・

 

明治時代に入ると・・・・・

政府は役人や軍人、警察官の制服について夏服と冬服を決め、6月1日、10月1日に衣替え

するように定めました。

この制度が民間にも広まっていったわけです・・・・・

 

一年に何回もわざわざ衣類や調度品を変えるのは実際のところ、面倒な話だと思います。

 

しかし、この『衣替え』という風習は、四季のハッキリした日本だからこそ続いてきた習

慣だと言えると思うんです。

 

季節の移り変わりに応じて生活のスタイルを変化させることは、一年を通して、

ずっ~と暑かったり、寒かったりする国々の生活に比べたら、むしろ贅沢な事かも。

 

そう考えたら、衣替えも『日本独自の文化』として逆に楽しんでみませんか?

 

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

今日から、3回に渡り、

私の数学感と、私がどのような思いを持って、数学を指導させてもらっているか?

この2点について書かせていただきたいと思います。

 

 

例えば、ピラミッド。

私たちが、ピラミッドを見て、畏怖の念にも近い感動を覚えるのは。何故でしょう?

ピラミッドがとても大きいからでしょうか?・・・・・私は違うと思います。

 

現代では、ピラミッドより大きな建造物を見ることは珍しくありません。

言うまでもなく、私たちはそれが造られたのが今から何千年も前だということに対して驚

きます。もっと言えばその時代にあのような巨大な建造物を作ることの出来たその石の

積み上げ方(技術)に神秘を思い感動するんだと思います。

ピラミッドの本当の価値はその石の積み上げ方にあるのではないでしょうか?

 

数学の公式や定理についても、まさに同じことが言えます。

それらがもたらす結果は、もちろん美しいものです。そして便利なものです。

しかし定理や公式の本質は、その美しさや便利さよりも、それらがどのようにして導き

されたのかという、その証明過程にこそあるのです。

 

数学の歴史はとても古いです。

例えば紀元前7万年ころに描かれたという絵の中にも幾何学的模様を見ることかせてせき

ます。

紀元前3万年ころの遺跡の中に時間を表現しようとした形跡が見られます。

私たちにとってなじみの深い算術や幾何学に限ったとしても、少なくとも5000年以上の

歴史があります。

 

それに対して小中高の教育は12年。

この12年間のカリキュラムには5000年以上の数学の歴史の中で最も重要かつ最もエレガ

ントな定理や公式が詰まってます。

各時代、各時代で世界中で最も数学の出来た人たちの叡智の結晶が、小中高で習う数学の

定理や公式には詰まっていると言っても過言ではありません。

そして、繰り返しますが、その叡智の本質は定理や公式の結果にではなく、それが導かれ

たプロセスにあるんです!!

 

このプロセスこそ、私が生徒に伝えたい部分なのです。

 

この続きは、明日の通信で・・・・・・

 

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

3月の1か月の間で、

実に、延べ12224人の方々に、ブログをご覧いただきました。

1日平均にする400人近い方々に見ていただいてたことになります。

 

『固定』でご覧いただいてる方々以外にも

『新規』でご覧いただく方々も着実に増えております・・・・・

 

とてもありがといことです。

 

 

『いい事』も『悪い事』も含め、私の思ったこと、感じたことはもちろん、

決して、格好つけることなく、『ありのまま』を発信していきたいと思ってます。

 

私の『人となり』、そして実力養成会とは、こんな予備校(塾)ということを、

感じていただけたら幸いです。

 

今後もどうか、お付き合いくださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。

 

 

今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

大政奉還・・・・・・・

これを成し遂げた直後、龍馬は暗殺されました。

ドラマはここで、幕を閉じました・・・・・

 

さて、その後、世の中はどうなっていったんでしょう?

気になると言えば、気になりますね。

 

そこで、あの岩崎弥太郎の『語り』を思い出してみてください!!

日本史も指導させてもらっている私が、岩崎弥太郎になりきって、

ドラマ龍馬伝のその後を語りましょう!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

将軍慶喜公は、大政奉還を受け入れたがじゃ。

実は、慶喜公にも思惑があってのこと。

そこは、『したたか』というモんじゃ。

 

慶喜公は、徳川家の力を温存したまま、徳川幕府の後の新政府の下にしっかりと潜り込

うと考えてのことじゃった。

山内容堂公も当然それを狙って建白したんじゃ。

 

ところが、現実は、慶喜公の思い通りには動いてくれんかった。

 

大政奉還が上表されたのは、慶応3年の10月14日。

実は、この同じ日に、薩摩と長州は、『幕府を討て』っちゅう天皇の命令、

いわゆる『討幕の密勅』を引っ張り出すことに成功してたがじゃ!!

 

すなわち、薩摩と長州は、幕府を倒してから新しい天皇政府を作ろうと決めてた。

薩摩と長州は、武力で慶喜公を排除して政権を握ろうと腹をくくってたんじゃ。

龍馬は、このことを知らぬまま、斬られたんじゃ。

 

ところが、10月14日、あっさり大政奉還となって、薩長の『討幕の密勅』は空振りに

わってしまったがじゃ。

ということは・・・・・・・慶喜公と山内容堂公の狙い通り!!

 

そりゃ薩長はあせったがじゃ!!・・・・蜂の巣をつついたようなもんじゃ。

戦争するつもりだったがじゃ!!

 

そこで、薩長は、一種のクーデターのような形で政権を手中に収めようとするがじゃ。

年末の12月9日、天皇の意思表明じゃ、いきなり、新政府の基本方針を全国に向かって

言したのじゃ!!   これが世にいう『王政復古の大号令』じゃ!!

 

どんな中身かっちゅうは・・・・・・

帝(みかど)が自ら政(まつりごと)をするっちゅうことや、

それと、仮の政府の中央メンバーとして、総裁、議定、参与のいわゆる三職を置くっ

ちゅうもんや!!

 

この日のうちに、京都御所で三職のメンバーによる会議が開かれたがじゃ。

『小御所会議』と呼ばれるもんじゃ・・・・・・・・・

 

ところがじゃ・・・・・当時の最高権力者だった慶喜公は、このメンバーには入ってな

かったがじゃ・・・・

『王政復古の大号令』で、みんなで協力し合って、天皇中心の国を作っていくぜよって

言っておきながら・・・・・・

 

そりゃ、もう、『小御所会議』は、大もめに、もめたわけじゃ・・・・・・

岩倉具視・大久保利通らの倒幕派は、松平春嶽、山内容堂らの公議政体派を圧倒し、慶

公に内大臣の辞退と将軍家の領地一部返上を命じる決定をしたがじゃ。

怒りの収まらなかった慶喜公は大阪城に引き上げ、新政府と対決することとなったん

じゃ。これが戊辰戦争の始まりじゃが。

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今日も最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。